【R-18】徐仙菜譜~元直さんちのおうちごはん~春の山菜のごまみそあえ - 3/3

あわてたように徐庶は鍋を回りこんで頬に触れてきた。君を冷血と言いたいんじゃないんだ、とでもいうように、体温や肉のやわみがあることをこれ見よがしに示している。諸葛亮はつねるように首筋に触れた。

困って眉を下げた、誘うような顔をしている。知らずに魔性を宿すあどけない女のように、この聡い男は「自分は弱いのです」と困りきって相手を誘い、絡めとって殺す手管をよく知っている。なんと、あざとい陽動であろうかと諸葛亮は虫唾が走る。そういった強手には品がなく、理念がない。ただ突き立ってくる杭を沼に呑み込むような至弱の強はどこに向かうこともない。自分こそは礎石を打ち込んでやろうと愚か者たちはこの灰色の沼に群がる。

嫉妬であろうか、憐れみであろうか、諸葛亮はその愚者の群れから沼を目くらましたく思う。この灰の沼は本当は、龍と呼びなされる自分などよりも苛烈に飛翔する、気位の隠れみのであるのだから、なおさらに。

「おやめなさい」

ぺたりとやわらかい触り方をしてくる手を声だけではねつけ、諸葛亮は徐庶の服の上から罰のように乳首を引っ掻いた。一応苦痛のていをした声が漏れる。

「ンッ……、」

「あなたは手を出さないように」

下を向いた吐息が戸惑った。手を出すなと、さっきはそう言われたかったのだろう、とあてつけを思いながら諸葛亮は徐庶の肌を引っ掻き続けた。このように触れ合うのはずいぶんと久し振りだが、愛撫とも呼べない虐めにもよくついてくる。

徐庶の貞操がややゆるいのは知っていた。才ある者もない者もひきつけられるのは、ある意味彼の侠としての大きさがつくる魅力で、官僚向きの自分にはないものだと尊んでさえいた。だが本人はそれを悪いものだと思っているらしく、それでもほかに機嫌を取るすべを知らないのだと、いかにも卑屈なようすで手を伸ばしてくるのだ。

さっきの山菜のあえものにしてもそうだ。昔からそうだ。徐庶は諸葛亮の食べる姿が好きだと言うが、食べ物を供するとき、それがどうやって手に入れたどんな料理なのか、聞いても言わない。そんなことは君の耳に入れる価値もないことだと言外に逃げられて諸葛亮は嫌な思いをする。徐庶にとって恥ずべきことだろうとなんだろうと、日々の糧を得ることに、なんの貴賎があるだろうか。貴も賎もともに生きていくために、知恵を出し合おうと言っているのに。

「あっ……、あ、ンッ……、ん、ん、ん……」

腿をあらわにして平手で叩き、きまぐれに痛いほど強くしごきあげる。椅子があったら腰かけて踏んでいただろうというような責めだったが、徐庶は律儀に手を出さず、すっかり硬くして、吐息に声を混ぜはじめた。

諸葛亮はそれが癪にさわる。声が出てしまうのは仕方のないことだが、媚びるような甘さがある。気を使っている。彼が垣間見せる気位を屈服させようとする男はこの声にさぞ喜ぶのだろう。そして彼自身もまた己の狂った声に酔い、目の前の男を捨てて憂き世を離れようとするのだ。

「……むりに声を出さなくてよろしい」

言うとはたと気がついたように、いちど息を止めてあさく吐く。戦場で敵の気配に息をひそめようとするようなふぜいだ。

「えっ……、ええ、と……、うるさかったかい……? すまない……」

「そうではありません。……私に触られるのは、嫌ですか」

徐庶は息をのんで悲愴な顔をした。このような甘さのない責め苦、辛いと言えばいいものを。一緒に楽しんでくれる相手なら簡単にみつかるだろうに。

「嫌じゃない! 俺は……俺は……、」

虐める手を止めて冷ややかに目を細めて、じっと待った。

諸葛亮は徐庶の泣くような声が嫌いではなかった。泣きながら怒るときなど、ほんの一瞬でそのあとすぐに逃げられてしまうが、ずっとそんなふうであればいいのにと思う。どうせこの男は、自分よりもずっと怒っているのだ。世界にも自分にも。

「俺は、君と、どうしても君といたいんだ……。信じてくれ……」

どう伝えたらいいのだと、気持ちをもてあました苛立ちをぶつけられるかと思ったのに、徐庶はだんだんと声を弱くしながら背中を丸めて泣き出してしまった。

 

求めることがどうにも噛み合わず諸葛亮は途方に暮れた。

諸葛亮はたとえ対立しても徐庶の対等な意見が欲しい。徐庶は諸葛亮の下でその意に合わせて奉仕していたい。しかし徐庶にそんな「凡庸な」ことができるとは諸葛亮には思われなかった。そのうちまた鬱屈してどこかにふらふらさまよい出てしまうのが目に見えている。そういう実は奇矯でやっかいな性質を自覚してほしくてつついても、すぐに委縮されてしまう。

ただでさえ諸葛亮は人をよく委縮させたり馬鹿にしていると憤慨させたりしてしまう。劉備や妻はそういうことがなく、まっすぐに朗らかに見てくれるのがありがたいが、あの龐統でさえ諸葛亮が絡むと少し尖った様子をみせる。

尖ってくれるぶんにはいい、と諸葛亮は思っていた。赤壁の際に共闘した周瑜はそれこそ諸葛亮への対抗意識にとりつかれたようだったが、周瑜は怒っていても、諸葛亮は楽しかった。ともに策を練り、挑発し挑戦し合うときは心安らぐほどだった。

諸葛亮は、徐庶とそういう時間をもちたかった。

そうすることが自分たちの、この世ですべきことのためにもなると思った。

だというのに、いったい自分は何をやっているのか。この友人が癇にさわるのはいつものことだ。そのたびこんな当たり方をしていては話せることも減ってしまう。

もっと近づかねばならない、と諸葛亮は思った。もっと、徐庶が気取ることも媚びることもしなくていいほど近く。たとえ自分がそういうことが苦手で、徐庶がそれを望んでいないにしても。

 

「あの、孔明……? 嫌になったなら、俺のことは気にしないでくれ……」

「……元直」

「う、ん?」

「くちづけをしても?」

徐庶は目をぱちくりさせた。そして少女のようにぽうっと頬を染めて、小さい動きであわてた。

「えっ……、い、いいのかい……? 愛想を尽かされたかと」

「しましょう」

一拍おいて徐庶は大まじめに深くうなずいた。羽毛で撫でるように、唇と下を同時にやさしく愛撫してやる。

「んー……っ、……は、ぅ、……んん……」

眉を下げきって、一生懸命にはふはふと唇を求めてくるさまはまたしても犬のようで、諸葛亮は手を探してつないでやった。それを引き金に、徐庶は震え出した。

「ん、んっ、ぁん、……ぅうっ。んん、ん……!」

よしよしと手の甲を撫でてやるととびきり感じるところを強く刺激されたようにどんどんのぼりつめていくのがわかった。必死に握り返してくる。その潰されそうな握力が諸葛亮も心地よかった。握り痕が残ったら見せてやろうと思った。

「あああ……!」

口を離して肩に額を思いきり押しつけて徐庶は絶頂した。

根元を絞り出してやっているあいだ、つないだ手ともう片方も袖をぎゅっとつかんできたまま、泣き疲れたようにはぁはぁと息をくり返していた。まるきり、親に捨てられるのではと不安になって泣きつく子供の手だ。興がそげるどころではない。

諸葛亮は手巾で適当に手を拭くと、その指をはがすように徐庶から離れた。

 

「は、はは……。悪い……。君も、よかったら」

「よくありません。けっこうです」

泣いたり赤くなったりした醜態をなかったことのように目を見ずに言う徐庶に、言い捨てて諸葛亮は立ち上がった。

「おかげさまでよい具合の手のしびれですので」

「ああっ」

鬱血のみられる手のひらを上からのべてやると、磁器を割ってしまった! というように徐庶は顔を白くして両手を触れてきた。そのさまがおかしくて諸葛亮は笑った。

「何を笑ってるんだ。ええと、痛いよな? 俺はなんてことを……」

「あなたの手を握ったのです、この程度は承知していますよ」

「え?」

「ごちそうさまでした。あなたのもてなしの料理、美味しかったです。近いうち私もあなたに何か作りましょう」

徐庶は脚を出して見上げた情けないかっこうのままぽかんとした。だいたい何を考えているのかわかって諸葛亮はむかついたが我慢した。自分だって厨房に入る足はあるし、包丁も火も扱える。煎じ薬などは作るし。

「また食事をともにしましょう、と言っているのです。習慣なのでしょうが、妙な歓待は考えなくてよろしい。あなたと話もできないのは好ましくありません」

「ううっ、悪かった……」

「悪いと思うなら、誘いを受けてくれますね?」

徐庶はしばしうるんだ目で静かな諸葛亮の顔を見つめて、そうしてなぜか苦しげにうなずいた。

 

砦へ帰る諸葛亮を小川まで送って、沓を脱いで川を渡ろうとするのを徐庶は、婦人のように抱え上げて渡してやった。

遠慮せず自分に頼りおとなしく抱えられ、地面に下ろされてすそを整える諸葛亮を見て、徐庶はまた目をうるませた。中天にかかった月がそれを光らせていた。

「何を泣くのです?」

「嘘みたいだなと思って」

「何がですか」

「君に俺があげたものを食べてもらって、君を抱えて川を渡って、今度君といっしょに食事しようと言われてるなんてさ……。昔に戻ったみたいだ。そんなことはありえないのに夢を見てしまいそうだ。実はさっきここで会ったときからすごく浮き足立って緊張していたんだ。なんだか本当にすまなかった……」

「昔とは違いますよ」

そうだよな、と徐庶はしゅんとした。あのときに戻れればという思考は愚かで自滅的だと諸葛亮は思う。それがどれだけ魅力的な過去でも、その道はいまの中にあり、また未来のうちに続くのだ。

記憶はいつも都合のいいように意味を変える。同じものを作ったつもりでも、それは記憶の甘さと同じであることはありえない。新しい策を、考えなければならない。昔にはなく、いまにあるものを生かしつくして。

「これからはあなたは、どこへも行かないのですからね」

徐庶は目を見開いた。諸葛亮は少しのびあがってかるく唇を触れた。

 

砦と月に向かって歩いていくあこがれの友の背を見つめながら、徐庶は封じ込めるように口元をおさえた。白い衣の背中が重なる闇の中に見えなくなってしまうまで、ぼうっとそうしていた。

『これからはあなたは、どこへも行かないのですからね』

言われた言葉をよくかみしめていた。今まで、どこにも落ち着くことができなかったのに、いま心から望む主君を得、友と名乗ることさえ毎度空恐ろしくなるような友の近くで、もうどこへも行かない、と言われている。夢を見ているのかもしれない。ふたたび劉備のもとに身を寄せてから、自分は幸せを信じることができないのだと怖くなった。

自分にも抑えられない浮力で、ふと手酷い裏切りをしてこの幸せを自分で壊してしまいそうだ。でなければ自分はもう死んでいて、都合の良い現世の幻想を何百年もくり返し見ているのかもしれない。そうであれば、いっそ怖くなくて楽なのだろう。けれど。

けれどそれでは、為せるかもしれないと夢見たことを永遠に為すことはできず、あの美しい友に二度と、本当には会うことはできない。

そんなのは嫌だ、ともがくような気持になるとき、徐庶はとりあえず食べ物を調達して腹を満たすことにしていた。腹が減っていたり、滋養が足りなかったりする状況で何を考えても冥界に吸い寄せられるばかりだと経験的に知っていたからだ。体は生来丈夫なほうだが、いうなれば、抵抗力のようなものを、つけようとして無心に山菜を摘んだ。

異界のものを口にするとそこから帰れなくなるという民話がある。それとはまるであべこべに、この世が本当に生者の世界であるならば、その若芽を食べて自分も生者らしくなれるはずだ。確かに春の恵みは少しずつ徐庶の目の前を明るくしてくれた。ここは、少なくともこの若緑色ばかりは、確かなものだ、と徐庶は感じた。

諸葛亮を招いて自分のとってきたものを食べさせてみたのは、彼が自分の夢ではなく、生身の、自分ではない生き物だと確認したかったからなのかもしれない。そういう祈るような気持ちで、若菜を食べる友を見つめていた。昔からいまいちふつうの人間のようにものを食べて消化しているのか疑わしいような友はしかし、行儀よく小さな動きで、素直にもくもくと食べた。

食べる姿は愛らしく、自分を叱る声は涼しく、つないでくれた手は、やさしかった。すべて、自分の幻想には及びもつかない驚きだった。

「また食事……か」

小屋に戻ってみると確かに諸葛亮が途中で箸をおいた鉢があった。鉢を拾い、残った二、三きれをつついてみる。

「怖いな」

怖いと言いながら顔は少し笑っていた。箸でもちあげて眺めてから、友のようにゆっくりと噛みしめてみると、苦みと甘みと塩みと旨みが一気に広がった。初めて知ったような味を味わいながら、うまく処理しきれずに徐庶は下を向いた。

「うまい」

徐庶が怖がりながら、そろりそろりと作ろうとする味の名は、幸せ、といった。

 

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