【R-18】羊の領分 - 2/6

丸い月が城の土壁を白く照らす夜、そのひとつの窓に重なるふたつの影があった。灯りもつけず接しているそれは月光に映され床の敷物に一匹の異形のいきものを形作っている。六本……いや、八本脚の。

 

『ジョーカーっ……大丈夫……?』

金属の鳴るような音で途切れがちに尋ねる声に、すすり泣いていた顔ははっとシーツから上げられた。もとは肘を伸ばしてついていた腕はへたり、上半身はすっかり寝台に伏せている。突き出すかたちになった腰が中に入っているものと爪の力とで支え直され、ジョーカーは涙と涎でぐちゃぐちゃになった顔を強くうつむかせてうめいた。快感と幸福の涙であった。

「うぅ、クッ……。だ……い、じょうぶ、ですっ……。あっ、ぐ、お手を……お手を煩(わずら)わせて、も……、ん、うんん……!」

『ジョーカー、ごめん……。ごめん、ジョーカー……っ!』

「ひ、ぃっ、カムイ様、カムイ様、なか、中にどうぞ、その、まま、くださ……ァッ……! あああ……!」

白い肌に絡んでうねっていた水の蛇が揺れる陰茎を絞るようにしごく。必死で締めつけても後孔の中の大きな体積はずるりと抜き去られ、ジョーカーは中心にこもっていた二人分の熱を一気に失って泣いた。熱く量の多い精液はほとんど体内に残らず、裸の脚とシーツを汚した。

 

「ジョーカー、行かないで」

扉に手をかけたところで後ろから声をかけられてジョーカーは止まった。シーツを替えて体を拭き清めているあいだにぐったりと眠ってしまったと思ったのに、起こしてしまったようだ。抱えていた洗濯物の篭を床に置いて振り返ると、確かにカムイは紅い目をゆるく開いてじっとこちらを見ていた。

「失礼いたしました。せっかくお休みのところを」

「いや。ジョーカーと話したいのに眠ってしまってた」

「私とでございますか? かしこまりました」

まるきり普段通り、それよりやや模範的な執事の顔を作りながらジョーカーは静かに寝台に歩み寄った。座って、と促されるのを待って枕元のスツールに腰かける。仰向けであどけなく見上げる目が自分だけを映しているのはたまらなく慕わしかったが、正直ジョーカーはあまり今主と話したくはなかった。主従らしさに欠けた甘えが口をついて出そうだからであった。

竜のカムイの満月の夜の猛りを慰めにジョーカーがひそかに侍るようになってから幾月かが巡っていた。

最初はカムイは我に返るたびジョーカーの体を気遣ってひどく自分を責めていた。しかしジョーカーが昂りを見計らって奉仕するので、なしくずし的に交合による療治が行われていた。人の体どうしと違い負担の大きい交わりに、ジョーカーもはじめは栄誉の死の覚悟を決めていたが、最初の満月で今までどうにもできなかった衝動をすっきりさせたからか、次からはカムイもある程度の理性を残していた。それで結局のところ、普段も表向きには変わらぬ様子でカムイに仕え続けることができていた。

最近では、満月の少し前になるとほとんど人の姿のカムイにも求められるようになり、ジョーカーは自分こそがカムイに特別な奉仕ができているという自信と満足にむしろ調子が良かった。

 

「ごめん。今日も、痛かっただろう? 体はどう?」

カムイはジョーカーの手を取って撫でた。労うてのひらを握り返してジョーカーは微笑んだ。

「はい。問題ありません。いつもお気遣いありがとうございます」

「前のときは、次の日はつらそうにしてた。それはそうだよね……」

「辛いなど、とんでもございません。確かに痛みがないわけではありませんが……、痛んでも、幸せなばかりです」

それは本当だった。言われるまで考えていなかったほど、ジョーカーは竜のカムイに激しく抱かれた後の痛みは好きだった。普段はタイに隠れている首元に残り、あえてすぐに治さずにいる爪の痕は誇らしい。主の精が体内に残って下腹が痛んだときなども、しばらく不思議な幸福感で陶然と動けなかった。

「でも……お腹、痛くなるんだろう? 中に出してしまうと……。今日はそれはしないように気をつけたんだけど、ちゃんと外に出せてた?」

先ほどの交わりでカムイが絶頂に達したときのことを思い出して、ジョーカーはなぜか思った以上に自分の頬が紅潮するのを感じた。混乱した。何がかはわからないがひどく恥ずかしい。主に満足してもらえて嬉しいばかりのはずなのに。

「ジョーカー? 顔が真っ赤だ……。具合が悪い?」

「い、いえ、なんでもありませんよ。そと……には、確かに、お上手に……」

「ならよかった」

 

それから他愛(たあい)のない話をするカムイに相槌を打って、頬の熱さが気にならなくなるころには、今度こそカムイはとろとろと眠りかけていた。

「ジョーカー……」

「カムイ様、そろそろお休みなさいませ」

「ジョーカーも一緒に寝よう」

「まさか、そのような……」

子供の頃にも言われたらちもないわがままを言われてジョーカーは笑った。その頃はその望みに従えたらどんなにいいだろうと頷きかけたところをギュンターにつまみ出されたものだったが、もう今はそんな未熟な気持ちは忘れてしまった。

カムイは閉じた目元をせつなげに歪めた。満月には、獣の性欲が鎮まっても意識の手綱がゆるむと感情の揺れが大きくなるようで、寂しがるさまが愛らしくて、ジョーカーはつい自分の体の消耗も忘れて寝顔を飽かず眺めてしまうのだった。

「ジョーカー、大好き」

「私もです、カムイ様」

「キスして」

「はい」

月光に白い頬を触れ合わせて親愛のキスをした。すう、と深くなる呼吸を確かめて、ジョーカーは再び洗濯物を抱えて廊下に出ていった。

ジョーカーは洗濯のついでに身を清めた。月が明るいのがちょうどよかった。

すっかり体力を奪われて今にも眠り込んでしまいそうで、明くる早朝にまわしてもいいのかもしれなかった。しかしジョーカーは朝が弱いし、シーツには血やもろもろがついているし、傷の手当てを十分にしないでいるとカムイが心配する。

何より家事をして無心になって、早いところカムイの完璧な執事に戻らなければならなかった。

シーツのしみを洗い落としていると頭がすっきりしてきて、そこについている血の染みが自分のものだとか、それを流したときの状況だとかを、他人事のように覚めて見られるようになってきた。洗濯物の処理を終えると、用意していた膏薬を手にとってあちらこちらの傷にのばす。

最後に一番手酷い傷に塗ろうとして、下衣をずらして無感情に指を押し当てると、中からとろり、と下りてくるものがあってジョーカーは思わず小さく悲鳴を上げた。

「ひっ、……い、いやだ……、
……で、て……いくな……!」

せっかく明瞭になりかけていた頭が転げ落ちるように真っ白になり強く目を瞑った。自分が口走ったことの意味がわからず、あえて思考を遮断したままで少しひらいた肛門を膏薬とカムイの精の潤滑でいじりまわす。地に膝をつき、芯を持ち始めている陰茎をもう片手で握り込み手早くしごく。早く。さっさとしろ。冷静な自分が周囲に人の気配がないのを驚くほど鋭敏に見張っていた。

「う、うぁ、カムイ、さ、カムイさま」

只々、早く早くと集中して呼吸をつめた。自分がどんな意味の言葉を小声に出しているのかジョーカーは知らなかったし知りたくもなかった。自分の欲の処理などしごくどうでもいいことだった。

早く、明日の朝主を起こしに行くために休まなければ。

「カムイ様、カムイ様、カムイ様、……ン、ぐッ……!」

乱雑にしごきたてた手が汚れる。体を丸めたまま手だけを洗って、ジョーカーはふうと大きく息をついた。やっと眠れる。強張った体をのばしもう一度軽く汗を拭き清めると、何事もなかったように静かな顔で膝をはらい、洗濯篭を小脇に抱えてジョーカーはすたすたと自室に帰っていった。

 

夢を見た。まだ自分が何もできない、ふて腐れてやさぐれた子供だったころの。

親に捨てられ、幼い世界が一度壊れて、売られた先でさえ捨てられそうになった二度目には、もうこのまま何もかもなくしてしまっても別にかまわないと思った。卑しからぬ生まれを拠り所に高慢になることで心を支えてもよかったのだろうが、あの生家を誇りたくはなかった。

「おまえは、一人なの? かくれてるの?」

同僚の折檻から逃げていたとき小声で呼びかけてきた小さな子供に、俺はどこでもじゃまにされているんだ、と答えた。暗がりで目を閉じていたから、それが誰なのか見えなかったし興味もなかった。小さな手が、狭い暗闇から手をひいた。

「かくれてないで出てきて。話あいてになってよ」

その言葉がこれからどんな大きな意味を持っていくのか、まだ全くわかっていなかった。それでも手をひかれて広がった明るい視界のまぶしさを、生涯忘れることはないだろう。

はじめて拠りたい柵を手に入れた。俺はあの人のものだと思えば、どんな労も恥も我慢も耐えられた。

生まれ変わったように体が軽かった。

まだ流麗な敬語とはいかない言葉で外のことを話してはギュンターに叩き直されていたのも、紅茶といえるほどの紅茶を淹れられるようになるまでかなりの時間を要したことも、主といられる時間を削って必死に武術の鍛錬をしたことも、知られなくてよかった。目先ではなく、今を耐え忍んで見ることができる遠くがあるのがただ誇らしかった。それは光だった。

「僕たちは、同じだよ。ジョーカー」

主もまた孤独を分ける手を必要としていたのかもしれない。それは犬や猫でもよかったのかもしれない。そうだとしても、それで自分は何よりも人らしい誇りを手に入れた。

 

「ずっとおそばに置いてください。ずっと」

 

もっとお役に立てるようになってから言え、百年早い、とギュンターに後で絞られた記憶にうなされていつも夢から覚める。だというのに、恐怖や憎々しさが落ち着くと必ずあたたかな幸せがにじんでくるのだ。

今日も俺はカムイ様の庇護の中にいる。

ジョーカーは尋常でないだるさに満たされた体の要求を振り切って、これ以上ないしかめ面で起き上がった。毎朝大げさなことだが、ジョーカーにとっては寝起きとはそのくらいの精神力がいるここ一番だった。ここ一番のときにはいつも空を睨むのだ、カムイに与えられた、そして今は自分自身の魂となった執事の誇りをもって。

 

→次ページへ続く

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