ナイフの騎士 - 2/7

「ジョーカー、これはなんのためにするの?」

「永遠にうらぎらずに、どこまでも味方だと約束するためです」

「やくそく」

「そうです。おれはお約束できますよ。お許しをもらえるなら」

 

「カムイ様!」

「ジョーカー……!」

旅に汚れた簡素なマントをまとった男が兄に駆け寄ってくるのを、タクミは警戒をもって迎えようとした。

しかし兄はそれよりも早く、腕を広げて飛ぶように駆けていってしまった。思わず弓に手をかけた。兄さん、その男は、刃を隠し持っているか知れないよ。見知った人間に化けて、あるいは利用して、だまそうとしているかも。なにせあなたは敵だらけで――。

「ジョーカー」

タクミは目をみはった。駆け寄ってくるその男さえ、目の前に近付いた一瞬どうするか戸惑うような様子をみせたというのに、兄は駆けた勢いのまま男を思いきり、体いっぱいに抱きしめたのだ。ジョーカーと呼ばれた男は抵抗するように身じろいだ。

「カムイ、様、いけません、汚いですから」

「ジョーカー、ジョーカー、よかった。また会えた」

兄は泣いていた。昔馴染みの臣なのだ、とそこでタクミは頭ではわかったが、どうにも引っかかるものがありつがえた矢をおろせなかった。

「……カムイ様……。
……ご無事で、良かったです……」

弓をかまえる姿が見えないわけはないだろう、その男の兄の背をきゅうと抱き返すときの顔が、友好を示すのとも主に再会できた臣の安堵とも何か違う、

――言うなれば、しめた、とでもいうような――笑みを浮かべていて、ぞくりと背中が騒いだからであった。

 

「白夜では、暗夜より弓術の重要度が高いんですね。礼法も訓練場もしっかりしているもんだ」

星界の城にしつらえた白夜風の射場をサイラスは興味深げに眺めた。暗夜の騎士は少し前にこの軍に合流したばかりだ。

国や文化を問わず混成している軍だが、これまで白夜の者が多かったため、基本的に白夜の生活様式がとられている。暗夜の姉妹の姫君が暮らす部屋はすぐに整えられたが、サイラスは白夜の生活を学ぼうとしていた。

「弓と刀は、武士の基本の備え。暗夜より騎兵が少ないのもあって射程と威力のある弓は重要だ。僕の風神弓をはじめ、神事にも弓は使われるよ。王侯なら最低限は嗜む」

猜疑心の強いタクミは姫君たちとともに一気に加わった暗夜の者たちを一方的に警戒していたが、この心根のまっすぐな騎士には信用を置きつつあった。かの国には白夜の武士道とも似た思想があるそうで、サイラスは王子であるタクミに礼をとり白夜の者たちにも分け隔てなく親切で人が好い。呑み込みが早く白夜の弓術もすぐにある程度習得してしまうのに、さらにさまざまなことに研鑽を重ねてなんでもないことのようにあっけらかんと笑ってみせるところなど、尊敬する長兄を思い出しさえする器の大きさを感じていた。それに比べて……。

「あ~っ、また届かない。届くようにすると方向かげんがぜんぜんだめだし、難しいなあ。タクミはすごい」

無数の外れ矢を放ち集中が切れた兄を見てタクミは小さくため息をついた。

「兄さん、悪い像を言葉にしないことって言っただろ。当たるように念じてなければ当たるものも当たらなくなるよ。教えたことは実践してもらわないと、僕もひまじゃないんだけど?」

「そ、そうだった。ごめんタクミ」

「ははは、カムイ、俺でよかったら、いくらでも練習には付き合うぞ。おまえはやると言ったら必ずやり遂げる奴だ」

信頼に満ちたサイラスの言葉にタクミはなんとなく面白くない。この立派な好人物が軍に加わったのはよいことだが、その主な理由がタクミには奇妙に思えた。もとは追手であった者を降伏させたというだけならよくある話だが、彼はそれ以上に、騎士の誓いがある、というのである。――この兄に。

「カムイ様、汗をお拭きいたしましょう」

カムイが弓を置くのとほぼ同時に、壁の一部が動いたように感じた。存在を忘れるほど主張なくたたずんでいたのはつい先日参陣した兄の「執事」、ジョーカーである。ジョーカーはいつ濡らしてきたのか水を絞った手拭いで甲斐甲斐しく少年の体を拭く。まるで小姓が憧れの豪壮な王者にするように。二人の大人の男に親愛を注がれている兄を見て、タクミは落ち着かない気分になる。

 

あの苛烈で剛毅なリンカが、「あの男の言うことは信じる」と言っているものだから、どんな豪傑なのだろうと観察していたが、兄は普段はのほほんと気が優しいようにしか見えなかった。長兄のような揺るがぬ頼りがいのある強さも、姉のような輝きわたる炎の果敢さもない。神の声に共にゆけと言われたのは、何か間違っていないことを成そうとはしているが頼りないこの兄を、自分こそが守り助けろという意味ではないかとさえ思ったものだ。

先日合流したカミラ、彼の姉として長年過ごしてきたという暗夜の王女も、まるで自分が産んだ幼子のように溺愛している。極めつけにサクラと同じ年頃にしても幼げな末姫にまとわりつかれて、似たようなノリでにこにこくるくると回っているのを見て、ああもう勝ったどころの騒ぎじゃないな、この兄さんは僕が守ってやらなくちゃなとタクミは思った。だというのに、目の前のこの光景はなんだろう。

 

「サイラスは馬の世話も、騎兵の武具の手入れもあるだろう。タクミもそうだけど、僕にそんなに時間を割いてもらうのは悪い」

「何を言ってるんだ。俺は暗夜王城の騎士って扱いだが、この軍にいる間はカムイのための騎士でありたいと思っている。それが俺が騎士になった理由だからな。おまえのために何かできるのは何より嬉しいぞ」

サイラスの大っぴらで熱烈な言葉を受けてカムイはにっこりと笑ってみせた。しかもその間なんとも当たり前そうに大の男から清拭の奉仕を受けながらである。頼りない兄と思っていたが、サイラスやジョーカーからの臣下の好意を受け取る自然な余裕を最近目にするようになってからは、少し見え方が違ってきた。

サイラスとジョーカーの目には親しみや庇護よりも、何か憧れるような光が宿っているのがタクミにはわかった。優れた人間に強く惚れこまれることは本人の強さ以上の強さだと、王族として学んではいたが、こういうことかと思わされて妬ましい。兄は男にもてるのだ。タクミは臣下に十分尊敬され慕われてはいるものの、それを鷹揚に受け止めることがもう少しできずにいる。

「おっ? タクミ様、カムイ様が羨ましいんですか?」

「はっ? 何言って……」

ヒナタが後ろから肩に何かかけてきてタクミは顔をしかめた。手拭いであった。

「言ってくれれば汗くらい拭きますよ! 俺もアレしましょうか?」

「い、いいよ、僕は自分でやる! それに言ったり聞いたりするようなことじゃないだろ」

真っ赤になっているタクミを不審に思うでもなく、素直にそうなんですかと返事をするヒナタは臣下としてかわいかった。助けられているとも思うが、それ以上に自分が守り導いてやらねばと思う。――実際、これがまっとうな主と臣の関係だろう。

タクミのまっとうをあざ笑うように、兄よりも明らかに年長でもののわかった顔をした執事は口角を上げた。

「そうですとも、主にお気を遣わせず、ご奉仕させていただけることを喜ぶのが従者の幸せです」

言って懐から何かを取り出そうとするのを、タクミは身構えて警戒した。それは濡れ手拭いにさっぱりと清められた兄の首筋に押し当てられる。刃ではなく、乾いた手拭いであった。くすぐったがりさえせずに、あったかい、と従者の体温の移った手拭いに頬を寄せる兄から、あわてて目をそらした。

……きわどい所を、預けすぎではないだろうか?

タクミはいらいらと、少し前に兄が深手を負って、たいそう心配したときのことを思い出していた。

 

「兄さん! しっかりしなよ、もうすぐサクラと合流できる。ほら、歩いて!」

肩を貸されながら、腕に傷を負ったカムイは青い顔をしていた。簡単に止血はしたがだいぶ血が流れている。痛みにもうろうとしている意識も切れてしまったら危ない。

「カムイ兄さん! ねえ、わかる? なんでもいいから寝ないでよ! 僕が絶対死なせないから」

「……―、か……」

「え?」

口元に耳を近付けると兄は何か言っていた。不規則で浅い息に唇の動きがついただけのように、呼吸そのもののように。よくよく聞くとずっと同じ音をくり返していて、何を言っているのだろうと思うよりまずぞっとした。頼りない善良な兄と思っているこの男は気が触れているのではないかと。

「ジョーカー……、ジョーカー……、ジョーカー……、」

カムイが回復しても戦闘が終わってもタクミは恐ろしくてその言葉がなんなのか、それが痛みを消す薬になるものなのか尋ねられずにいた。そしてあれはやはり、痛みを逃れる呪文のたぐいなどではなかったのだ。

 

→次ページへ続く

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