ナイフの騎士 - 7/7

 暗夜からの追手がかかり、カムイの軍はいく人かずつにまとまって応戦していた。とはいえ、よく連携のとれた軍はあぶなげなく大方の敵を駆逐した。

あとは残党の奇襲などにだけ気をつけて、と用心深く周りを見渡したタクミは兄の姿が見えないのに気がついた。まったく兄さんは大将なのにと顔をしかめたが、いつも近くにいることから無意識にひとそろいで探した執事の姿もないので、ひと安心した。そうだ、兄にはお守り役がついてくれるようになったのだった。強いのにどこか不注意でけがをしやすい兄を癒す杖に、暗器だって。

――暗器だって……。

タクミは少しぼうっとして、そしてもう一度兄とその執事の姿を探した。確か兄は南面を受け持ったはずだ。南には森があり、そのむこうの川べりの岩場に兵が展開していた。あの辺りは、兵を伏せられる場所がありそうで。

そういえば、なぜ、進軍のための情報収集に出たこのときにかぎって、ちょうど暗夜兵と鉢合わせた?

――眠れ、眠れ わが袖に

胸が騒いでタクミは南へ駆け出した。夜の闇の歌声と、狂ったように世話係の名をくり返す兄の吐息が脳裏にかわるがわる響いた。

 

森のむこうに二人の姿をみつけたとき、カムイは半身を赤い血に濡らしていた。タクミはそれをひと目見て心臓が跳ねて、とっさに木のかげに身を隠した。森のほうに背を向けているジョーカーは兄に跪き、胸の前に杖を構えた。腕のあたりにだけ治癒の光が集まっていくのを見て、あああれは返り血だ、とタクミはひとまず安堵した。

「ありがとう、ジョーカー」

「いいえ。いま、鎧をお拭きします」

ジョーカーは主を見上げてうっとりとしたように言ってから、隠しから出した布を川の水に濡らしに行った。岩場から伏兵の攻撃がないか警戒しながら行き帰るジョーカーを見て、考えすぎでよかった、とタクミは体の緊張をほどいた。穏やかな顔で立って拭かれるにまかせている兄、絡みつくようにいとおしげに拭き清めている執事。これ以上見せつけられてはたまらないと、タクミは適当なところで先に皆のところへ合流しに行くことにした。

しかし束の間、ぴんと糸の張る殺気が空気を震わせた。

一瞬にタクミは振り返る。兄の背後から、殺気が投擲され近付いてくるのがわかった。遠い岩かげから飛び出した暗夜のメイドのような影。兄の首を正確に狙った軌道。血の気が遅れて引いた。

さっきジョーカーが川に歩いて行ったのは、まさか合図を送るため? 兄が気付いて避けようとしたら、今ならあいつは的を固定できる。僕は、僕は遅かったのか?

「カムイ様ッ!」

衝撃音と、切羽詰った低く甘い声。兄の声は、しなかった。兄の首を除けたすぐ横で、黒鉄の手甲が銀色の刃を握り止めていた。つややかなえりあしの髪が裂かれたのまでも見える。とっさに動いた男の後ろ姿の、鬼気迫るこわばり。

ジョーカーは腿にさげた暗器を抜いた。

「ッ……、らァッ!」

「うああっ!」

粗暴なジョーカーの気合いの声のあとに、女の悲鳴と倒れる音、這いながら逃げるようなどたばたとした気配がした。

 

「びっ……くりした。ジョーカー、ジョーカーはすごいな……。僕をいつも守ってくれるね」

間抜けな声で驚きを示して、カムイは柔らかに笑ってみせた。タクミはまだほっとするどころでなくぱくぱくとやっと息をしていた。

ジョーカーはいく筋か髪が損なわれてしまった主のえりあしを確かめるように撫でながら、何か不満そうな雰囲気で黙っていた。ご無事でよかった、光栄です、と感激するでもなく。

そして、つかみ取った銀の暗器を、そっとそこに添わせた。そう見えた。

懐であたためた手拭いをとりまわすような自然さに、タクミはしばし何をしているのかわからなかった。カムイはカムイで、刃が近付くことも気にかけずあっけらかんとして首を傾げた。

「ジョーカー?」

「避けるべきですよ。この暗器は私もフェリシアも持っていなかったものです。私がガロン王の手先なら、怪しまれずあなたを殺せますよ。そして何食わぬ顔で軍に戻るのです」

タクミはぞっとして、今度こそ弓に矢をつがえた。

ジョーカーからはまったくの背後のタクミは見えない。木立に少し隠れてはいるが、兄に向かって、大丈夫だ、挟撃する、と目で必死に伝える。カムイはタクミをみつけ一瞬視線を合わせたが、ジョーカーを見上げ直してなぜか、微笑んでみせた。

「確かにそうだ。ジョーカーは頭がいいね」

「……あなたには、成さねばならないことがあるのでは」

「そうだよ。でも仕方ない。僕はもう、ジョーカーを雇える王子様の立場でもなんでもないし……。ジョーカーが僕の運命をほしいというなら、僕はそれに応えなくちゃならないもの。そうしたい」

カムイは黒鉄に包まれた執事の指に、傷ついた小鳥を包むようにそっと触れた。

「ジョーカー、手を出して。けがをしてるだろう?」

手は手に包まれて、慈しむ視線のもとに下ろされた。カムイは血で汚れた銀の暗器をつまみ上げて、よいしょと執事の腿の鞘におさめる。不器用に手甲を外すと、勢いのある暗器を受け止めた手の中は衝撃と金属の摩擦でつぶれ切れていた。血は、ジョーカーのものだった。

「ごめん。僕が不注意なばっかりに、痛かっただろう」

「いいえ」

普段の全身全霊でカムイの世話を焼きたがる様子からは考えがたいほどされるがままに、おとなしくジョーカーは裸のてのひらを開き主に預けた。

「いいえ、少しも……」

「そうか」

カムイは薬を取り出して塗り、マントを裂いてその傷を丁寧に結びかくしてやった。

ジョーカーははにかむように笑った。

「昔、こんなことがありましたね」

「そう?」

「意地悪をおっしゃらないでください。ご自分の誓いは覚えておいでなのに」

手を離されたジョーカーはすっと一歩引いた。そしてもう一度深く跪いた。それは舞うような、儀礼のような動きだった。

「敬服しております、カムイ様。いま一度ただわが主のみに誓いましょう。今のあなたが何も持っていないというなら、それでこそいっさいの曇りなく、私の証立てをよく見ていただけるでしょうね」

ジョーカーはカムイを見上げてそう言ってから首を垂れ、マントを結ばれた手を心臓の上に置いた。小川の流れと風の音だけがあるただの野の中、壮麗な式典のように美しい声が響いた。

「私は騎士でもなく貴き家督でもなく、あなたを守る誇りのほかに何ももたぬ者ジョーカー。懸けるものは変わらずこのちっぽけな命しかありませんが、誓いを捧げます。
この身、この運命は、常におそばにあって万難を排しあなたの道を助け、あなたの槍となり、また御身を守る盾となりましょう。変わることなき親愛と、永遠の忠誠を、あなたに。わが主カムイに」

「誓約を受けよう」

カムイはすらりと夜刀神を抜いた。黄金の刀の腹を跪いた肩の上にのべ、とん、とん、と叩く。異能の力を帯びた神器を恐れることなく、ジョーカーはただじっと跪いている。

「おまえの主たれるよう。常にその心を受け、その誇りを守る。誓いに応え、信頼と親愛を、永遠に」

「……ご立派に、なられました」

目線を上げたジョーカーの声には涙が混じっていた。崇拝の視線を受けても、カムイは先程の返答の凛々しさとは別人のようにやわらかな笑顔でいる。

「あなたに誓いを受けていただけること、どんな勲章よりはるかに名誉です。もし、この誓いに違えあらば、その剣で」

ジョーカーは途中で言葉を切り、夜刀神に手を添えた。切っ先を導き、頬とこすれ合うほどに近付くと、その黄金の先端にくちづけをする。

「この首を、刎ねてくださいませ」

刀を首元に抱き、せつなく見上げてくるジョーカーをカムイは微笑みで受け入れた。

しばしの熱っぽい見つめ合いのあと、カムイはすいと刀をおさめた。

「これでジョーカーは僕の、僕はジョーカーの。あらためてよろしくね。立会人はタクミだよ」

「うええっ」

「タクミ様?」

弦の消えた風神弓を持ったまま呆然と立ちつくして誓いを見守ってしまっていたタクミは情けない声を出した。振り返ったジョーカーも見るからに嫌そうな顔をしており、なんだよ何もかもあんたたちのわけのわかんない茶番のせいだよ、と恥ずかしくなった。

ジョーカーは歩き出し、嫌そうかつ無愛想に口を開いた。少し顔が赤かった。

「個人の大事な誓いを覗き見とは、趣味が悪いですよ」

「なんだよ、立会人が必要なんじゃないのか? 今のはなに。暗夜の儀式?」

「うん。騎士の誓約なんだよ。かっこよかっただろう」

「騎士? でも……」

タクミがあらためてまじまじと見るまでもなくジョーカーは騎馬では戦わず、堂々たる鎧もなく、槍も剣などの豪壮な武器も振るわないし、国や家や騎士団などの名誉の紋章をつけているでもない。サイラスとは全然違っていた。

「いいのです。私は貴族でも軍人でもなんでもありませんから。叙勲(じょくん)もなければ騎士道なんてものももちろんありません、勝手にやります」

「それのどこが騎士なのさ」

「騎士ではありません」

つんと顎をそらして高飛車にジョーカーは言った。カムイの先をゆき、暗器で林の草を分けて足元のよい道をひらきながら。

「わが主の、ただの影です」

銀に光る髪がゆれる後ろ姿が、暗器を持つのとは逆の手をきゅっと確かめるように握ったのが見えた。血がにじみ汚れたぼろぼろの切れ端が木漏れ日にひらめき、まるで紺色の宝玉の環のように鮮やかに目に残った。彼の燃える太陽はタクミの横でにこにこと光っていた。

 

***

 

カムイは立ち上がってどきどきと挿絵と自分たちを見比べていた。ジョーカーの深く跪いたかっこうはいつもとは違う格好よさがあり、銀の髪はきらきらしていて、小さなカムイの目にはおとぎ話の騎士役にも十分なように見えた。剣はないので、と暗器をカムイに持たせ、ジョーカーは首を垂れて目を閉じる。

「ここです。とんと置いて」

「うん」

少し重たげにカムイはジョーカーの肩に暗器をのせた。カムイはまだ重い真剣を使ったことがない。心地よい重さと、カムイの興奮と緊張が目を閉じていても伝わってきた。

「大丈夫ですか? おれがこれから口上を言うので、堂々と立っていてください。わが首を、はねたまえ、と言ったら、『誓約を受けよう』と言って、二回とんとん、です。言ってみてください」

「せいやくを受けよう」

「素晴らしいです」

ほめるとカムイは素直にえへへと笑った。では、と言って、ジョーカーは本のままに誓約の句を上げた。

「わが血、わが名、わが名誉にかけて。ここに誓約の剣を捧げる。私、ジョーカーはあなたに運命をあずけ、常にその道を助けることを誓う。わが身をもってあなたの槍となり、あなたの盾となる。変わることなき親愛と、永遠の忠誠を、あなたに。
わが主、カムイよ。この誓いに違えあらば、その剣で」

カムイは強い視線をジョーカーに注ぎながら、じっと言葉を受け止めていた、歌のようなものだなとジョーカーは思った。響き美しく、言葉の意味はカムイにはあまりよくわからない。けれど約束をするのだという気持ちは、そう一言で言うよりよく伝わっているのではないかと思った。自分には誇れる父祖も名も名誉もない。いつかまた自分の言葉で、カムイに同じ歌を歌えたらと願った。

「わが首を、はねたまえ」

「せいやくを受けよう」

言葉の響きを噛みしめるようにカムイはゆっくりと和した。そして言われた通りにとん、とん、と二回暗器で肩を軽くたたく。痺れるようで、ジョーカーはしばしきゅっと目を瞑っていた。自分で主を主と決めたのだ、ずっと捧げると約束した、と思うと、満ち足りた。両親も、ほかの使用人たちも、きっとこの気持ちは知らないのだ。

ふうと息を吐いたカムイは暗器を引くと、しゃがんでジョーカーをのぞきこんだ。

「ぼくもしたい!」

「え?」

「立って」

手をとって立たされ、暗器を手渡された。こうかなあ、と言ってカムイが目の前にひざをつくのを見て、ジョーカーはあわてた。

「ち、ちがいます」

「ちがわないよ!」

「これはカムイさまがすることではないんです」

「なんで? かっこよかったのに。ぼくもジョーカーにやくそくする!」

本当にやりたそうなカムイを前にして、説明に困った。一応下のものが上のものに捧げるのですと言ってみても納得がいかなそうにしている。いつまでもひざをついた主を見下ろしているのも落ち着かず、ジョーカーも跪いた。

「……じゃあ、こうでしたら……」

ジョーカーは抜き身の暗器を肩にのせるところを、刃の部分をてのひらで包んでカムイの肩にのせた。間違ってもカムイを傷つけぬようにと力が入ってしまって、よく砥(と)いだ刃で存外深くふっつりと切れてしまった。

「これでいいの? なんか本とちがうけど」

「いいんです。かっこいいですよ、カムイ様」

遅れて痛みがやってきたが、ジョーカーは気付かれぬようごり押しで本の誓約のせりふの先導を始める。カムイはそうかこれはかっこいいのか、と従った。

「はい、続けてください。わが血、わが名、わが名誉にかけて……」

「わがち、わが名、わがめいよにかけて。ここにせいやくの、つるぎをささげる。私、カムイは、あなたにうんめいをあずけ、つねにその道を、たすけることをちかう」

その先はいらないな、とジョーカーはさりげなく中略した。最初と最後の方はさすがになんとなく覚えているだろうからなくせないが、主が自分の槍や盾となることなどあってはならない。後半は思いつく限り文言をいじった。

「変わることなき親愛と、永遠の信頼を、あなたに……」

「かわることなきしんあいと、えいえんのしんらいを、あなたに」

「……この誓いに違えあらば、その剣で」

「このちかいにたがえあらば、そのつるぎで」

はきはきと復唱する喉の横で、てのひらがじわじわと血を流した。本来剣を使った騎士の誓約は、あなたに剣を向けることはなく、あなたを裏切ったときには首をはねられてもかまわない、という敬服をあらわすものだ。しかしこれでいいとジョーカーは思った。もしこの人がおれを裏切ったときには、おれが死ぬのだからと。

「わが首を、はねたまえ」

先導する前にはきはきとカムイは結びの言葉を言った。手から血がこぼれないよう、手首でジョーカーはその肩をとんとん叩いた。ひいた手を見て、カムイはにこにことしていた顔をとたんに青くした。

「ジョーカー! けがしてる!」

「うっかり切りました。カムイ様も刃物には十分……」

「出して!」

刃物に気を付けろと言っているところなのにカムイは血の中にあった暗器をぽいと放り捨てた。抽斗から傷薬の壺と自分のハンカチを出すと、ジョーカーの手をひっつかんで懸命に手当てをしようとする。

「か、カムイ様、自分でしますから」

「だめ! 手だもの。手をけがしたら、何かする手は一本しかないんだよ。
だから僕が手をけがしたらジョーカーが手をかしてくれて、ジョーカーがけがしたときは僕がジョーカーの手になるの。たすける、って、そういうやくそくじゃないの?」

たまにはっとするようなところを突く主の言葉にジョーカーは黙らされた。カムイは不器用な手当ての終わりにハンカチを傷ついたてのひらに結んだ。まだ少し血はにじみ出して純白の木綿を汚しはじめていたが、それでひとまずカムイは満足して手を解放してくれた。

「これでよし。いたくない?」

「はい」

「本当?」

「本当です。ありがとうございます。おれは、幸せです」

傷をえぐることになるのに、ジョーカーは唇の前に重ねた両手をぎゅっと握った。痛くなどなかった。どこまでも行けると思った。旅の終わる場所を知っているのだから。

カムイはふと思い出したようにもうひとつ聞いた。

「ジョーカー」

「はい?」

「えいえん、って、何?」

カムイのまるく紅い目は答えが返ることを信じきっている。ジョーカーはいとおしさがわき出るように微笑んだ。

「それは――、」

 

同軸作品

  • 【R-18】獣の贄

    カムイが満月に竜の力の興奮で性衝動に苦しんでいることを知ったジョーカーが思わず体を張ってしまう話(6000字程度)

  • 【R-18】羊の領分

    『獣の贄』の続き。満月の夜に定例的にご奉仕をするようになったジョーカーが執事の身の程プロ意識と情愛的にグイグイくるカムイ様の間で揺れる話(24000字程度)

  • 【R-18】永遠の供

    『獣の贄』『羊の領分』の続き。ここまでで一冊の本。恋愛に対するイメージが悪いジョーカーが恋人を辞退してから自分たちなりの愛を探る話(30000字程度)

  • ナイフの騎士

    『獣の贄』の前日譚。ジョーカー合流直後、異様な忠愛を見せつけてタクミやサイゾウのホモソ目線を怖がらせましょう! 二人の出会いの回想を織り交ぜて(31000字程度)

  • 銀のワルツ

    北の城塞にフローラフェリシアが人質に来たころ、フローラ目線で少年ジョーカーの悪いイメージが良くなってく話(18000字程度)

  • 【R-18】イランイランの季節

    『獣の贄』の一連と透魔エンド後。新年の大祭を復興するのにジョーカーに神官役が回ってくるが、亜熱帯の神官服セクシーすぎ?(20000字程度)

  • 【R-18】ヒイラギの季節

    『獣の贄』の一連と透魔エンド後。雪山遭難ックス(12000字程度)

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