4.エーギルびいき - 2/2

頼まれごとのアーツユニットのメンテナンスに集中していたらいつの間にか横にエリジウムが座っていた。

作業机から少し離れた壁際にわざわざ椅子を移動させて、こちらを見て話を聞いてほしそうにそわそわした風情だった。いつもならば適当に作業の緊迫がひと段落したところで「おーいソーンズ」と割り込んできて、そのまま聞き流せる程度のトーンの話を勝手に始めるのだが。

比較的内容のある話をしたいわけだな、と判断したので中途半端にせずしっかりと作業を終わらせてから聞いてやることにした。まともに視線もやらない俺をエリジウムも気にすることなくおとなしく待っていた。おとなしく……と言うか、おそらくぜひ話を聞いてほしいという熱視線と、心ここにあらずといったうわの空が入り混じったような妙な気配が発散されていたが。何か浮かれてでもいるのだろうか? それにしては緊張感もある。

 

工具の片付けまで終えてはじめて顔をエリジウムに向けた。

「なんだ」

「話聞いっ……、あー、やっぱり……、この後仕事ある?」

「仕事はない」

「時間くれる? 話聞いてほしいんだ。部屋来て」

緊張に上ずって詰まった声でエリジウムは話し出そうとして視線を周囲に走らせた。技術作業室には今自分たち二人の他に誰もいない。わりに遅い時間だ、これから混雑しだすということもないだろう。しようという話の方向性が察せられた。

 

 

「今度故郷に戻るかもしれなくて」

部屋の扉をロックするとその瞬間からエリジウムはやや小声から話し出した。やはりその方向の話だ。作業室で話したところで何の問題もないと俺は思うが。

「今度っていうかまだ……計画段階でまだまだ先らしいんだけど。ケルシー先生が、僕にナビと通信員を頼むかもしれないから考えておいてくれって」

より防音を確実にする程度に扉から離れただけで立ち話のままエリジウムは話して、いつものようにソファに案内する様子がない。座っていられないような浮足立ちなのだろうか。もし酒が入っていたら俺の回りを歩き回りでもしそうだった。

「……大丈夫か?」

「え、帰ることが? 正直不穏なんじゃないって気持ちはあるけど大丈夫になるようにケルシー先生が工作してくれるんだってさ。何をどうするのか見当もつかないけどケルシー先生がそう言うんだから大丈夫にするんだろうとは信じてるよ。僕もなんとなくそういうこともある気がしてたし。確か前そういう話したよね、君が未成年ちゃんたちの前で楽しくない話をどんどこ広げようとしたとき……」

「そうじゃない。異様に落ち着きがないから何かおかしいのかと聞いたんだ。気の重さや緊張だけでそういう風にはならないだろ」

エリジウムは合わせた目を見開いて唾を飲み込んだ。そしていよいよ辛抱できなくなったようで、ヘッドバンギングのような勢いで思い切り頭を下向かせながらこちらの肩をつかまえた。

「よくぞ聞いてくれたね……!」

「……手短にしろ」

うっとうしそうな話をこちらから促すかたちになったのは問題なので一応釘を刺しておいた。

「“君の好きなバンドとつなぎができている”だって! うう〜んどういうこと〜!?」

緊張と高揚がはじけたエリジウムは聞いていない様子で掴んだ肩から腕をごしごしと摩擦してきた。じたばたと興奮をやり過ごしているさまは少し面白かったので許した。

「僕へのスペシャル報酬とかじゃなくてロドスの今後の事業?に関する協力みたいだけど、ケルシー先生の人脈はほんとすごいよね! 任務中で音楽やってる場合じゃなくてもAUSのみなさんのバイブスをじかに感じられるかも? と思うとさ……違う種類の緊張で興奮が混乱しちゃってるんだよ~」

しまいには肩口に額を押し付けてぐりぐりとやってきて、「AUSって、情熱なんだよね~!」などと声を震わせた。同じバンドやスポーツチームを愛好する者たちの宴会などでは感極まってこういうこともあるだろうが、残念ながら俺はエリジウムの好むエーギルのヘヴィメタルバンドに特に興味がないので棒立ちしているほかない。

興味がないというか、むしろ、シエスタで実際にメンバーに会って感じられたことといえば、あれはエーギルというよりもっと、“深い海”で……。

 

「おまえ、海に弱い手合いのイベリアのリーベリなのか? ……」

 

エリジウムのでかい声がずっと耳元で続いていたせいなのかいやに自分の声が小さく不明瞭に聞こえた。

声に出てから、なんだその問いはと反省した。「海に惹かれてこいつは大丈夫なのか」と心配で警告したいのは確かだが、だからといってそのように聞いて何がわかる見込みでも、何を知ろうとしているわけでもなく、こいつには警告にもなりはしないだろう。不合理なことだった。

エリジウムはある程度興奮を抜くことができたようで、頭を起こして少し首を傾げてみせた。その顔は突き放しじみた国や種族の呼ばれ方をしたのとは不釣り合いに気楽なもので、胸騒ぎの落ち着くものがあった。

「エーギルに“惑わされやすい”みたいな『裁判所語』の話してる? ふつうの言葉で言うとエーギルのひとを好きになっちゃいやすいかってこと? 確かにきみもウィーディもスペクターさんとかも素敵な友人だと思ってるけど。羽毛も角も尻尾も大きな耳もないつるっとした外見が神秘的で好き〜とかじゃないよ」

「……そんな話ではなかった」

「んー、そうなの? というか、もしも彼女たちの音楽や君みたいにおもしろくて熱いものが君の言うように海と関係あるんだとしたら、海には僕にとって好ましい側面もあるってことになる……じゃない」

お気楽な顔で容姿の話などするのに油断していた。なんでもないことのように突然に、エリジウムのいうところの『裁判所語』においては異端である色にどぎつく染まった内容を言った。

イベリア人の多くが驚くような発言だっただろう。俺にとっては裁判所の価値観は自分のものではなく、エリジウムがそれから外れていることも、あのバンドをこよなく好んでいることもわかっているはずなのに、なぜだか、胸を衝かれて止まった。

立っていないといられない興奮した子供状態を脱したエリジウムは茶を淹れて座ることにしたようだった。マグの準備などしながら、やはりまだ変に浮いているのだ、道化師の歌のように「狂気的な発言」は続いた。

「今危険だっていう事実は、事実としてさ。僕もあの国を離れてかえってわかってきたことだけど、海は今みたいじゃないこともあったんでしょ? シエスタの“海”はきれいで人を受け入れてくれる素敵なものとしてデザインされてたよね。あれは本物じゃないけど、本物の海に憧れて作られたものだろ。少なくともお年寄りたちに昔のそういう憧れを語っちゃだめと思わせてたカチカチのイベリアの都市の感じより、海の上はいくぶん空気がおいしいのかもね。海も空も街も結局灰色なんだもの」

テーブルに二人分の茶を置かれたので歌う道化の隣に座った。「海は好ましいかもしれない」という旨をエーギルに微笑みかけながらさえずるリーベリはイベリアであればいかにも密告の対象だった。俺はそれよりも、こうしてひとつのソファにおさまっているうちにこの羽獣が自分から発される波のしぶきに羽根をやられてしまったのではないかという懸念にふいと恐ろしくなった。

何も言わないのにこちらを見てうなずくように頭を揺らしたエリジウムの目には、海の上の空にひるがえる羽獣の翼の灰色があった。

「そうだよ、変なテンションついでに言っちゃうけど、こういう僕でいいと思ってるの。そういう意味では確かに僕は「君たち」びいきの「異端」ってやつかもだよ。でも僕があそこにおさまらない器の男なのは今更でしょー?」

エリジウムはやけくそめいた笑い顔で言って、大きな翼をのばしてぐるりと肩を抱いてきた。腕もてのひらも当然ながら重く湿ってはおらずからりとむしろ熱く、らちもない恐れは叩き払われた。そうだ。そんなやわな翼の奴ではなかった。妙に「濃い海の音」に親しむ好みをしていることには、やはりみぞおちがむかつくような気がしたが。

 

「それにしてもたいそうな熱の上げようだ」

「うふん、聞いちゃう聞いちゃう~?」

座って落ち着けたのでまあ茶を飲むあいだは話させてやるかと振ると、エリジウムは喜気をあふれさせた。例のバンドを好きになった話を聞いてやる想定だったのだが、意外に、そちらではない「熱」の話がはじまった。

「昔近所のお姉さんがね、僕のことイベリア人らしいって言ってくれてたんだ。僕、なぜかちょっと変な子みたいに言われることも多かったんだけど……」

「それは変だからな」

「静かな町の中いい意味で抜きん出てたってことでしょ! でも そのひらけた情熱こそイベリア人 ってそのお姉さんは褒めてくれて、嬉しかったなあ。
ぼうやのような子なら島の人たちともまた兄弟になれるってね。僕はそうする機会をもつ前にあそこを出てしまったから、お姉さんの期待には答えられなかったのかとも思ったりして、半分忘れてたんだけど、あら不思議。いつの間にかこんな離れたとこでね……」

芝居がかって感慨深げな声とともに抱かれた肩が指で叩かれた。「たいそうな熱の上げよう」の話を振ったのに俺のことに話が行きついているのか、なんなんだ。マグを置いた隙にわき腹をくすぐってやった。

 

ひとしきり跳ねて笑って、ふうと呼吸を整えたエリジウムはソファから床にずり落ちて逃れた体勢のままぽつりと言った。

「お姉さんも昔、島民の“姉妹”がいたんだって」

リーベリとエーギルの“姉妹”。“お姉さん”というのはかなり高齢だったのだなとそれでわかった。海に弱いだけでなく子どものころから年かさの女に弱いのか。

その、姉妹というのは、少なくともその町からいなくなったのだろう。エリジウムも天井を見て少し黙っていた。

「だから僕は、故郷の現状には気が重くなっちゃうけど故郷を嫌いなわけじゃないんだ。お姉さんにかけても、この僕のように情熱的な人の国だったわけでしょう? もちろん、エーギルの人を含めてね」

エリジウムの言うことは「だから」も何も論理のつながりはむちゃくちゃだったしどの組織の言うイベリアとも違っていたが、間違ってはいないように思われて俺はそうかとだけ言った。ソファの座面に肩から上だけひっかかっているエリジウムは空に向いて花が咲くように笑った。

 

 

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