その先輩騎士の結婚式に出席したとき、グレイグは将軍になったばかりでまだ二十そこそこだった。
ユグノア、グロッタで魔物に荒らされ果てた城や街を見、無我夢中に戦い通してきた直後にはグレイグ自身が戦いの狂気のみで動く鎧の魔物のようであったが、それでも晴れがましい場は彼に生気をよみがえらせてくれた。自分が一番守るべきこの第二の故郷は、弥栄(いやさか)に滅ぶことなどないのだと思える。
婚儀の宴も傷付いた心にことに美しいものであった。この国にある家族、あたたかな幸せ、花に飾られた若夫婦、人と人とがつながるみずみずしい喜び。そういった営みがずっと続いていくのだという空気に包まれて、グレイグは揺り篭の中のように安心して花の香りや宴の飾りつけに感動できるのだった。
「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。 不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」
誓いに際して神官が聖句を述べた。愛についてのその教えは畑に降る雨のようにグレイグに染み込み、知らず感謝のような涙がこみあげた。白いレースに包まれた新郎新婦が涙ににじみ、真白い親友のように麗しく見えた。
誓いの儀式が終わり、親類や近しい友人たちが夫婦を取り囲んでいる幸せなさまを、グレイグは参列していた教会の後ろの方に突っ立ったままうれしく見ていた。しばらくして自分と同じように動かないでいる者があるのに気付いて、左を見下ろした。
いつもと違い黒い正装をしている金髪の男が、じっと前を見ていた。夫婦とその周りの人だかりを見ているのかと思ったが、それにしては視線に動きがなく、ただ瞳をまっすぐに向かせているだけというふうだった。ホメロスはいつも今ここでない先を見ているから、それだろうと察した。その表情は祝いの席にしては辛気臭かったが、いつもの他人を皮肉るような色はなく、もの悲しさと、珍しく、敬虔さのようなものをグレイグは感じた。
「ホメロス」
「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。 不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」
低く、壮麗な声のリズムにグレイグは聞き惚れた。途中まで先程の聖句だと気付かなかった。美しいことばを美しい声と調子でもう一度聞けたこと、ホメロスの口から祝福の言葉が発されたことがなんともうれしく、胸が満たされた。
「さすがはホメロスだ。聖句を覚えているのか」
「結婚式ではよく聞く」
妙に静かな調子でホメロスは短く答えた。確かにその通りだがグレイグには『よく聞く』程度のことをそらんじるなど思いもよらない。ただ内容については感覚的に覚えていた。
「すばらしい言葉だ。俺はおまえのようにはっきりと美しく唱えられんが、聞くたび愛とはすばらしいものだと改めて思うぞ」
「その愛がこの世にあるなら」
ホメロスもそう思うだろう、という言外の呼びかけに静かな声が返された。愛とは王や王妃や師匠や、おまえに惜しみなく与えられたものだと、言葉にする発想はないがグレイグは自然に定義している。そしてそんな自分の頭の中は、頭の良い親友なら当然お見通しのことだと信じていた。
「あったのだろうと言えるのは、そいつが死んだときぐらいだ」
雑な教えに気難しい癇癪をおこすときとも違う、ただもの悲しく時間の止まった、ホメロスの周りだけ乾いた墓場のような清浄な空気をまとい、墓場の王は教会を一人で出ていった。黒い燕尾、細身の腰に、大きなルビーのあしらわれたロザリオが毒々しく光り、グレイグは息を呑んだが、すぐにホメロスには似合わないと首を振った。
赤い果実や花の蜜のような香が部屋に満ちていた。鮮やかな色のルビーを溶かしたら、こんな香りがするだろうかとグレイグは思う。自分の部屋にあるような香りではないと理性が気付いたときには上に馬乗りになられていた。肩から流れ落ちる長い長い金の髪、金のペンダント。
何かの任務でここのところ城に戻らないはずの男、明日その足取りを求め王とともに追うはずの男の瞳はルビーのように赤く、妖しく光った。その光をまともにとらえた瞬間、脳を震わせるような眩暈が走った。
「ホメロス、なぜ」
なんとか名を呼び問うた。腕も上げられず、歪んだ世界の真ん中で、装飾的な黒い燕尾の喪服のような正装のホメロスは微笑んだ。止めねばならない友、殴り倒してでも話を聞きたい友。
脈絡も何もなく、おまえは美しい、と言いたくなった。しかし痺れた舌にはやわらかな毒が絡められた。
「愛しているからだ」
キスの合間にホメロスは言った。その意味をグレイグはすぐにとることができない。愛して――愛——、それを言ってほしくないと意味もわからずグレイグは泣いた。感傷と嘲笑っているのかホメロスは顔を歪めてみせて言った。
「嘘だよ、グレイグ」
ホメロスのてのひらが、優しく肩を撫でた。髪を撫でた。首筋を撫で、胸に置かれた。泣いているせいなのか、なんなのか、ひきつれるように速い鼓動が、ホメロスの白くもしっかりとした手との間の震動でわかった。手の下で跳ねる左胸をホメロスは憐れむように目を細めて見下ろした。このまま握りつぶされるのだろうか、と遠くの波の音のように思う。しかしホメロスは手をそっと離し、思いついたように服を脱いだ。黒からこぼれ出る裸体はよく知った白をしているはずだったが、黒い薄皮を破って羽化する翅(はね)のようでグロテスクに見えた。
「これは嘘だ」
腕をなぞり、手をとらえられる。ゆっくりと降りてくる体よりも先に、金の髪が顔の横に溜まるように落ちる。体をずらして重ね合わせ、左半身に少しだけ覆い被さる体勢でホメロスはうつ伏せに横たわった。
耳の近くで鎖の音がした。
嘘だ、と言う声はとても楽しそうだった。そういえば、何年もこんなホメロスを見ていない、と思った。笑い転げて折り重なって眠った子供のころのように、笑っているのが顔が見えなくてもわかった。
そのままじっとして、ホメロスの笑いがおさまり力が抜けると、この体勢はまるで親友が自分をかばって死んだようだと思う。合わさった左胸どうしが脈を打ち、グレイグは泣きながら愛していると復唱した。舌までも痺れて口が回らず、うわごとのような声になる。意味もわからない。ただホメロスの言った大事な言葉を繰り返したかった。ホメロスの胸はもう打っていないのかもしれなかった。しかしホメロスはまともに発音もできていない言葉に、うん、うん、と楽しげにうなずいてくれた。指を絡めてぎゅうと握ってくれた。
「グレイグ」
ホメロスが身をよじり、脚を絡めた。
甘い動きに声が漏れる。体を揺らされるとこりこりと勃起した小さな尖りどうしが胸の上で出会い、寄り添ったり、もみくちゃに擦れ違ったり、そっとキスをしたりした。
胸と胸の触れ合う面は確かにあたたかく、離れたくなくて、グレイグは力いっぱいその背を抱きしめたい。しかしルビーの瞳の拘束で相変わらず手首さえ持ち上げることができず、離れたくない思いばかりがいや増して泣き叫ぶような息をあげた。
「あ、うぅう、んっ、……ふぅっ、う……うっ!」
「……グレイグ。グレイグ……、気持ち、いいのか? こんなのが……。俺は……、俺は……、」
身動きが取れないぶん擦れ合う面にばかり集中した感覚が、お互いの鼓動の震えをたえず拾う。
押し付け合った胸の先端は皮膚が薄く、まろやかな質感をしている。焦るほどにぶるぶると微細に擦れ、腰の奥から遠い波音のようなもどかしい快感が広がってくる。
体を鍛えても鍛えても覆うことができない。そこだけ熟しすぎた桃のようにやわらかく痕のつきやすい心に、じかに心を押し当てられ、したたる果汁をとどめることもできず吸われていく。押し当てられた胸からもじわじわと血が染み込んでくるような気がした。実際には汗がにじむだけの胸に、それ以上の何かを塗りたくってゆっくりと絡めるように、ホメロスは胸を擦り合わせた。
「ん……、ん……、ふぅ、んっ! う……、ほ、め……」
「……っ、ふ……。可愛……い……、馬鹿な男よ……」
「ぅあ、あっ! ああ!」
無慈悲に体を起こされて、なすすべのないグレイグは乳を取り上げられた赤子のように泣くことしかできない。ホメロスはベッドの上に立ち上がって睥睨し、窓からさす月光の中で着ているもののすべてを脱いだ。黒くきっちりと生真面目に肌を覆う、しかし華美な装飾が白い肌と金の髪には似合わない――そう思っていた――布から、すべてが羽化する。一糸まとわぬ、白く優雅で大きな羽の虫があらわれたときには、それはなめらかな曲線をもつ女の姿になっていた。やわらかな蛾の豊かな腿は生まれ変わったばかりの苦痛に涙を流して濡れ、ふたたび地上に降り立つとき背中に流れる金色の翼が重たげに踊った。
「将軍」
女の手はいとおしげに顔を撫で、真珠のような裸の胸にグレイグの頭を抱きしめた。谷に落ちている金のペンダントが鼻先に触れる。
もしも腕が動いても、自分はこんなに優しくは人を抱きしめられないだろう。心からの愛でなくて、他の何がこの腕にまとわっているというのだろう? グレイグにはわからなかった。
心から自分を愛しているはずの腕の主はこらえきれないというふうに噴き出した。
「はッ! はは……、将軍、ふふふ。愛していますの。ね? ずっと、ずうっと。知らなかったでしょう。私も知らなかった!」
アハハハハ、と女は高く笑った。乳房の間を吸うようになる鼻息は、こんなに夢のような密着は初めてのはずなのに、なぜか懐かしいにおいがした。薔薇と、しっとりとした汗の混じった、そう、訓練の後に寄るなと追い払われた、いつかの親友の清涼な背中のにおいがした。
ゆっくりと顔の上でこねるように両の乳房が押し付けられ、必死に舌を出して、丸い胸のあわいからペンダントをつたう汗を受け止めようとする。
「あら、わたくしの露が飲みたいの……? 可愛いかた、愛しいかた」
「う……、ほめ、……す、ど……し、て……」
「どうしてかしら? なんでも聞けば答えてもらえると思っている、愛しくて罪深いお口」
少し離れて口を動かせたかと思うと、白い女は膝をグレイグの顔の横まで進めた。眼前に今まで嗅いだことのないほど濃い女のにおいが広がり、反射的に目を背けたくなるような薔薇色の秘部がぐしょぐしょに濡れているのに、正面から口を塞がれる。口だけではない、鼻先も、顎も、顔の下半分を濡らされ、塗料をぶちまけられたような窒息感に覆われる。違うのはそのぬるつきを自分がすすり飲んでいるということだ。叫び声があがり、一瞬腰が浮いて離れてしまう。ほめろす、と舌足らずに呼びかけるとびしょ濡れの柔らかい肉は戻ってきてくれて、髭が痛くないのか前後に振りたくられる。嵐のようなその動きに、舌の面を差し出して必死についていく。
「ああ、ああ、愛して、……ハッ、……し、て、いるのです、将軍……、しょうぐ、ん、可愛い、かわ、いい。好き、あっ、愛してる! あ、ああ、あっ!」
「ン……ッ! うぶ、む、ふ……~~っう、」
「は、はっ、おかし……っ、くっ、くはははは! ははぁっ、あ、んん!」
女はのけぞって笑ったかと思うと前に手をつき、肩や腕にさらさらと流れる金の髪の中でカーテンを裸体に巻き付けて遊ぶように身をよじった。女の泉とだらしなくあふれる自分の涎が、細い金の陰毛までずぶ濡れにしている。
「あ、ふ……。ふ……、は……、馬鹿な、ばかな、やつ。おまえをっ……おまえを……」
思うようにならぬ口でじゅうじゅうと吸い飲み込むたびに後頭部が痺れ、何かが背骨を駆け巡って、下半身の感覚がなくなるほど快感に浸かっていく。魔物の毒や酸の液かなにかで、腰から下はもう溶けてなくなっているのかもしれない。
「殺してやるからな」
グレイグの顔の上でがくがくと震えしぶきを噴き出しながら、かすれた、しかし驚くほどやわらかな声でホメロスは言った。
グレイグは朦朧とした意識で最初おやすみと言われたのだと思った。目立った声変りのない女の声だからなのか、幼い頃泣きすがった夜と同じ、どこまでも優しい調子だった。グレイグが愛や慈しみと聞いたときに、必ず思う声だった。どうして──殺さないのだろう。どうしてここまで自分たちは来たのだろう。おまえの手で死ぬような策に放り込まれても最後まで戦ってみせたのに。それしか自分にはできないのに。どうして守ってくれたのだろう。どうして教えてくれたのだろう。どうして、照り輝いて道を示してくれたのだろう。
絶頂のしぶきを飲んで白目を剥くほど昏迷するグレイグの顔を離れて、震える脚でホメロスはしゃんと立ち上がった。脚をすくい撫で上げられてやっとグレイグは自分の下半身が溶けてなくなっていないことを知る。下着を剥ぎとられ、ぐちょぐちょになっていたへそや腹筋のあたりを舐めとられるが、それが汗なのか、先走りなのか、それとももう出てしまった精液なのかわからない。首を起こせず、ホメロスが見えない。そうっと触れられ、息がかかる。
「友……。わたしの……」
きっと心から愛し合う、恋人たちだけがするように、そうグレイグは思っているしぐさで、ホメロスは長大な陰茎を丹念にくちびるで埋め尽くした。
「わたしの、ゆめ。わたしの」
ホメロスはそこではっと笑って、愛、とおかしげに言い捨てながら先端に歯を立てた。
ビクリとする腰をつかまえられ激しく吸いしごかれ、細い指で根元を揉むように摩擦される。それを何が起こっているか把握することができないほどグレイグの頭は真っ白な火花でいっぱいになる。自分の意思に従わない体は淫蕩に痙攣し、呆けた叫び声をあげる。
「お、おおおぉっ、うっ! ん、んお、ほめ、ほぉお! うううぅっ!」
「ン! んーッ、んん! ングッ、うっ、ん、ん! ん……っ!」
さんざん溜められたものが長く長く噴き出し、永遠に止まらないのではないかと一瞬錯乱する。ホメロスは苦痛の声をあげ、涙まじりに精液に窒息する。ホメロスが死んでしまう、死んでしまう、とグレイグもぼろぼろと泣いて、その頭を引きはがしたい。動けないグレイグの股の間で小さな頭は嘔吐感に痙攣し、何度もえづき涙を落としながら一滴残らず飲み下した。そしてやがて闇色の力が禍々しい曙の光のように、白い体から湧き出していくのが、仰向けのまま涙ににじんだ目にも見えた。
夢の最後に見えた気がしたのは真白いマントの後ろ姿だった。どこから出してきたのか、それともそこまでの夢とは全く別の場面の夢なのか、どちらにせよグレイグはひとつ覚えに同じことを問うた。
「ホメロス、なぜだ」
グレイグの問いたいことは多すぎた。ホメロスは馬鹿にしたように鼻で笑うだろう。そんなことは自分で考えろ、なんでも情けなく問うて恥ずかしくないのかと。しかし鎧の肩ごしに振り返ったホメロスは涼やかな顔をしていた。まるで聖句を述べる教会の神官のように、憐れみあるうす笑みだった。
「もうすぐ死ぬ哀れな者が、死人に聞くことはなかろうよ」
そして踊るようにマントを払いはためかせ、内の紅色をひるがえしてホメロスは闇に消えていった。金縛りの夢はそこで終わり、やがて運命の朝が来る。
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