奇跡の美酒 - 2/5

カトリーヌがその小さな村に到着したとき、季節は春で子供が畑の草をむしりながら戯れる声が聞こえてきていた。

羊の放牧が再開した村の外の野原を越え、まだ荒野のようにがらんとした麦畑の合間を分け入っていくと、あちこちで何人かずくで草の根を引っこ抜いては土だらけになって笑っている子供たち、畑を耕してむしり終わった草を犂きこんでいる大人たちの姿が見えてくる。

皮鎧姿に気付くと一瞬騎士におののく人もあったが、カトリーヌと気付くと安心して一礼した。家々の間を敷き詰めるようにところ狭しと区切られた種々の野菜の畑らしきものの向こうに、真新しい教会が見える。その前に、べそをかく子供の洟をふいてやっている、修道女というにはやたらに派手な風体の女がいた。

「来てやったよ、マヌエラ」

派手な女は喇叭(らっぱ)の音が聞こえるように顔を上げ、泣きぼくろの目をばちりと見開いた。立ち上がるとカトリーヌと並ぶ長身で、長い羽織の裾が踊った。マヌエラであった。

「待ってたわ、カトリーヌ。どう、あたくしのお誘い? とっても楽しい案だと思ったでしょう?」

「はん、他のセイロス騎士団の男にも声かけて断られてからアタシんとこに話がきたの知ってんだからな。かわいそうだから付き合ってやるけど、長年騎士団にいたやつらはだいたいアンタの性質がわかってるんだから、長旅に付き合う奴がいると思うかねえ」

「あら、ごあいさつだこと! ……まあ、まあつまり、カトリーヌもあたくしの働きを労ってくれたくなった、ってことよね? 女同士ぱあっといきましょうよ」

「……まあ、アンタには世話になってるというか、よくやってくれてるとは思うからね」

話している間にもマヌエラの手は優しく洟たれ小僧の頭を撫でていた。この洟たれ小僧はカトリーヌがマヌエラの運営する学校に連れてきた戦災孤児の一人で、数年前は物心もついていなかったからそのことはもう忘れている。マヌエラはこの旧王国領と旧帝国領の境目ほどにある村に教会と学校を開き、近隣の孤児や学びたい貧しい子供を集めて教えていた。各地を旅するカトリーヌは、戦後しばらくの間は特に王国で身寄りがなく困っている弱者を保護することが多く、マヌエラのもとに送り届けていたのだった。

「んもう、子供たちを教えるのは楽しいからなにも苦労じゃないのだけれど、あたくしが本当によくやってるのはね、ここの食事に耐えていることよ! そうじゃなくて?」

「ああ、それは手紙でさんざん聞いたってば。しょうがないだろ、ここいらは食べ物が王国なんだから」

「そうなのよ、でも、困っている子たちがたくさんいるのは実際旧王国地域なわけだから、この村を拠点にしたあたくしの判断は間違っていないのよ……。だから、あたくしには華麗な旅行休暇が必要というわけ!」

「先生、行っちゃいやだ~!」

静かにしていた洟たれ小僧が再び泣き出した。マヌエラはしゃがみこみ、子供のまるい頬を両側からむちっと押さえた。

「シャルル、あなたは今年から先生がいなくてもみんなの畑仕事のお手伝いをするの。先生がそばにいなくても宿題ができる! そうでしょう?」

「うん……」

「一人前の大人になる練習をするのよ。そして一人前の大人には時としてすてきな休暇が必要なものなの。あなたも自立した一人前の大人になったら、先生の結婚相手候補に入れてあげてもよくてよ」

「うぅ……、ウン……」

シャルルはぐずりながらなんとかうなずいた。こいつの結婚相手候補になるのはなかなか危険だぞ、とも思ったが、何に人生を捧げたいかは個人の好き好きか……と思い直してカトリーヌは流した。

 

大樹の月からは本格的な農作業が始まるからあたくしはお呼びじゃないのよね、と道中マヌエラは話した。学校を始めてから初めての休暇をとって、カトリーヌを護衛兼道連れの友達としての、美味を求める旅行だ。都市や教会を見物する巡礼の旅や、未知への冒険を求める者や傭兵など、自由な旅自体を住処にする流れ者ならわかるが、完全に娯楽として旅をするという考えはカトリーヌにもなかったので、やはりマヌエラの発想力の豊かさには恐れ入る。

「子供たちは農作業の繁忙期にはその仕事を手伝って学ぶでしょ。秋や冬のあいだはみんなよく勉強したし、今節から新年度の魔道学院と、あとフェルディナントが官僚学校を試験的に始めたでしょう? それに合格するためにがんばっていた子たちも無事、区切りがついてね。畑をみんなが勤勉に耕し始めたらあたくし、汚れるばっかりで邪魔になるもの。みんなが冬の間休んでいたのの代わりにこれから休むことにしたの」

「汚れるのは家の間にあんなごちゃごちゃに畑を敷き詰めるからじゃないのか? あれ、指示したのアンタだろ」

「よくわかったわね、新しく畑の計画を立てるのは得意よ! ごちゃごちゃって言うけどあれで効率よく成果は上がってるんだし問題ないじゃない。皆あたくしに指示を仰ぎにくるんだもの。
……その畑のことでね、今回の旅の目的は美味しい食事だけじゃないの」

マヌエラは幌馬車の中で溌剌と話していた顔を険しくした。御者席にいるカトリーヌは背中を向けているが、それでもわかる表情の大きさだった。さすが元舞台女優である。

「あのね、あたくし料理をやるでしょ? だからある程度食材を美味しくすることはできると思っていたのよね……」

「おお。確かにマヌエラの料理は美味かったよ」

「ありがとカトリーヌ。でもそれって傲慢だったのかもしれないのよね。だって料理で無限の美味しさを作り出せるのは、調理法や食材の組み合わせが無限だからでしょう」

「あ、ああ~……」

カトリーヌはマヌエラの話の流れを察して半笑いになった。カトリーヌも、名家の育ちとはいえ一応ファーガス人である。

「王国の調理法と食材、いくらなんでも幅が狭すぎよ! 特にこれからの農繁期なんてね、聞いてちょうだい?」

「聞いてる、聞いてるしだいたい言いたいことはわかる」

「キャベツ、豆、タマネギ、雑穀、何かの根茎、川魚、豆、豆、そして、キャベツなのよ。それを煮るの! 味付けは塩と豚脂。もちろん子供たちのおなかを満たすのにはいいわ。あたくしも好きよ。主の恵みに感謝だわ。でも、でもっ……」

「はーいはい」

「お酒が……美味しく呑めないのよ……ッ!」

カトリーヌは自分が(男騎士の次に)旅の供に呼ばれた人選の理由をよく理解した。カトリーヌはマヌエラと同じく酒呑みである。しかも、食材の豊富でないファーガスの中でも肉や香辛料を不自由なく手に入れてきた名家育ちで、美食家というのでもないが、要するに無意識に「舌が驕って」いるほうなのだった。

「わかった、マヌエラ。アンタ、農繁期で自分の出番はないとかなんとか言ってたが、一番の理由はあれだな? 冬は塩漬け豚と林檎酒なんかがよく出たけど、これからは野菜と豆粥ばっかりになるからだろう」

「もうっ、別に嘘をついたんじゃないけど、ご明察よ。今のうちにこれからのことを考えておかないと、あたくしおばあちゃんになる前に干からびてしまうわ」

「これからのこと?」

「さっき言ったでしょう? 新しい畑を作るの。料理に彩りを出すためのね」

はん? とカトリーヌは続きを聞いた。後ろでドタバタと音がし、肩の上からマヌエラのらんらんと光る眼が覗きこんだ。

「あたくしたちの村の、葡萄酒(バクス)を作るのよ!」

かくして旅は、「酒呑み女二匹、バクス紀行」となった。

 

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