奇跡の美酒 - 5/5

コラムーフレーバードワイン

中世、近世などには現在よりも頻繁に香料や果汁などを加えた葡萄酒が飲まれていました。水で割るとか、お砂糖を加えるとかも。純度の高い酒を作るのが難しかったこともあるんですが、今よりも飲み方が自由だったともいえます。現代はサングリアかグリューワイン(クリスマスなど寒い時期に飲む、スパイスと甘みを加えたホットワイン)、ワイン系カクテルなどに整備されていますね。

作中のアルビネ地方のモデルとみられるイギリスやその他のヨーロッパの地域では、実際に輸送に使われたワイン甕に保存用に塗られた松脂を起源とする松脂フレーバーのワインが今も作られています。

もちろん、気候土壌による葡萄の育ち方、膨大な数の品種、醸造家のとりくみなどによって、ワイン自体が千差万別のアロマを醸しだします。ワインの味を決めるのはほとんど土地や水やその地に育つ品種で、そうそう自在に変えることはできません。醸造家の人間はそれを乗りこなしたり、活かし方を考えたりします。

まさにこの現代にも、戦争や経済的打撃でヘコんだ土地の復興に関して、ワインに期待がかけられていることがあります。同時に、いわゆる先進国のお金持ちがお金をばらまく代わりに特定の地域から安くていいワインを買いまくることで、その土地の資源を取り返しのつかないレベルで吸い上げてしまう……という問題も現在進行形でおこっています。サトウキビやアボカドのプランテーション農業の問題とも似ています。

ワインは風土であり、困難との戦いの跡を残す歴史だといえます。舵取りの難しい問題を含んでいるからこそ、無二の個性が生まれているのも事実です。

 

小説裏話

タイトルはマヌエラの二つ名「奇跡の歌姫」より。

紋章とタロットの対応読解本『紋章×タロット フォドラ千年の旅路』のほうでも話しているのですが、マヌエラは平民のため紋章をもたないにしても大修道院のスタッフの位置取りとして「聖マクイル」と対応して描写されているもようです(ハンネマンとマヌエラの外伝でハンネマンに対応するインデッハの名を冠した騎士団ともう一つ、マクイルの名を冠した騎士団が入手できるなど)。マクイルの紋章は「魔術師」のアルカナに対応し、「奇跡」とは魔術師の領分です。

奇跡っていってもいろいろニュアンスがあるのですが、マヌエラの場合それは宗教的聖人がおこす厳粛なものというより、才能のひらめきや複数のものをフィーリングでミックスさせて新しいものを創造する女優としての力や料理上手さなどをさしています。こういう、混沌からまったく新しいものを作り出す!というのが、「魔術師」アルカナの表す「奇跡」です。「料理」というものにはそういう性質がありますよね。マヌエラ、厳密に軽量とかしなきゃいけないお菓子作りは苦手そう。わかる。

 

自分が今回の本のために書いた話はみんな戦後ですが、基本的にどの国が勝ったルートなのかとか先生が男性なのか女性なのかとか、誰と誰がペアエンドソロエンドするのかとかのプレイヤーそれぞれの部分はすべてご想像におまかせできるように書いています。しかし、カトリーヌだけは別です。カトリーヌはレアが生存している場合、ソロエンドだと生涯をレアを守ることに捧げます(「赤き谷の守り手」)。したがってこの話に登場する「自由騎士カトリーヌ」はレアとの死別を経験している「自由の剣」ということになっています。つまり実質銀雪ルートってことか……?

戦後数年が経ったこの話のカトリーヌは、レアとの別れののち数年を弱きを助け強きをくじく流浪のヒーローとして過ごしています。彼女の心もその暮らしの中折り合いがついたでしょうか? 作中では彼女がレアを大好きであることも軽い話題として出てきます。また、序盤でマヌエラ先生と結婚したがる幼児に「何に人生を捧げたいかは個人の好き好きか……」とギャグ的にカトリーヌが思う場面がありますが、これはカトリーヌ自身が紆余曲折あったとはいえレアにすべてを捧げたかった半生についての遠い感慨でもあります。

この「好き好き」である自由が、今作のテーマである幅広い市民活動の自由さです。すでにその上に生きている運命、土を変えることはできないけれど、そのうえでおいしいものを作ろうとどうにかこうにか自由にやっていこうとするワインと同じように。

 

後半から登場するもう一人のキー登場人物・マリアンヌはこの二人に取り合わせるには意外なメンバーですよね。多様な葡萄酒のことを聞くには港町の交易所、という実際的な理由もありますが、マリアンヌのもつ「獣の紋章」の性質は「悪魔」アルカナに対応し、それは作中のマリアンヌで描かれた迷う人間の弱さや無力感や妄信だけでなく、後日談に描かれるマリアンヌが活躍したような「弁論家」も表します。なぜなら「言葉を使った交渉」というのは人間の弱さや揺らぎ、「欲望」を喚起してうまいこと飼い慣らすものだからです。

フォドラでの葡萄酒の呼び名「バクス」はローマ神話で陶酔の欲望を司る葡萄酒の神「バックス」からきていると思われます。酒や嗜好品は欲望の商品であり、「悪魔」のカードがあらわす欲望は悪いばかりのものではなく明日を生きる活力になるのです。

 

さりげなくカトリーヌがマリアンヌのことを案じていたというセリフも入れ込んであります。シルヴァンが特別マリアンヌに寄り添うような支援があったように、辺境伯の子女であるマリアンヌには重い責任の圧がのしかかっています。カトリーヌの実家カロン家もまたもともとは王国の伯爵家の中では特別の名家でした。カトリーヌの場合不運な紆余曲折があって実家を捨てることになったのですが、「築き上げた大きな立場をぶち壊す」ということはカロンの紋章に対応する「塔」アルカナの表すことでもあります。「悪魔」のカードの次が「塔」です。カトリーヌはマリアンヌが塔に閉じ込められどこへも行けなくなっているなら塔に雷を落として彼女をさらい降ろしてやろうかとも思っていましたが、マリアンヌは自分で自分の足枷をとって歩き出すことができるようになっていたのですね。よかったよかった。

エドマンド辺境伯の言葉を捏造するのもたいへん楽しかったポイントでした。比喩を駆使するのも「悪魔」アルカナの詐欺めいた話術の得意技です。「若者を育てるのにいい品を贈るのは、土地にふさわしい葡萄の木を植えるのと同じ」、ここには、対ローレンツや対レオニーの支援会話でも描写があった士官学校に学びにいくマリアンヌに趣味のよい持ち物をもたせたエドマンド辺境伯のことも入っています。学生時代のマリアンヌは養父の持たせてくれたものが自分にはふさわしくない、趣味が良くても自分に関係はない、と思っていましたが、それでも上質なものを知っているということは、いつか心の畑を育てる助けとなるのです。

 

風花雪月小説

  • 奇跡の美酒

    食文化テーマ短編。戦後、教師として復興を手伝う村で可能な限り理想のお酒を作りたいわ!とマヌエラがカトリーヌとともに各地酒ツアーしてエドマンド領まで行く(13000字程度)

  • カリード王アンヴァル会談録「キャベツ」

    食文化テーマ短編。戦後、パルミラ王ことクロードがフォドラ統一政権の外交官のコンスタンツェとついてきたユーリスにキャベツの相談をする(13000字程度)

  • カリード王アンヴァル会談録「ライス」

    食文化テーマ短編。「キャベツ」の続き。ヌーヴェル領の農地を苦しめる塩害対策にクロードがアジアの知恵をしぼる(11000字程度)

  • 褪せぬ秋の日

    食文化テーマ短編。戦後、レスターをまとめる立場になったローレンツが香辛料の流通について修道女メルセデスに相談する(10000字程度)

  • ヘヴリング文書―土壌編―

    食文化テーマ短編。戦後、ガスパール領の地質調査に向かうリンハルトから先生に向けた連書簡(8000字程度)

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