パルミラ新王カリード――フォドラ名に、クロード=フォン=リーガン――がアンヴァルの旧宮城を訪れたのは、戦後二年が経ったある夏のことだった。なしくずし的に始まっていた、旧帝国領、およびブリギット諸島王国との友好通商を正式に発表するためだ。
クロードの野望は「壁を壊すこと」。第二の故郷への里帰りを兼ねて王自ら、パルミラ人、フォドラ人、その他、互いの偏見の壁を越えるため多種多様な人間からなる使節団を率いてきたのだが、案外と驚かれずクロードは少し拍子抜けした。旧同盟領ならいろいろな容貌の商人にも慣れていようが、アンヴァルの都心ともなれば頭の固い連中があわてふためき怖れるかと思っていたのだ。
「じつに歓迎なんだが、期待してたびっくりどっきり面白みはないよなあ……」
応接室の玻璃(ガラス)窓から、外で使節団のパルミラ産飛竜が注目を集めているのを見下ろしてクロードはつぶやいた。わりと好意的な、興味を多く含んだ注目であるのが感じられた。忌避を含んだ奇異の目であるとか、無知と不安が蔑みに変わったような目であるとかならばクロードにはわかる。
戦時とあと数年でめまぐるしくさまざまのことが起こった。もう大きな武力衝突は起きていないが、フォドラの固い壁はかなり柔らかい土壌に耕されているようだった。
「おーっほっほっほ! ごきげんよう! お久しゅうございますわね、カリード王陛下。もう一杯お飲み物はいかが?」
今日の会談の相手が入ってきたかと思うと、派手やかな高笑いが応接室中に響き渡った。予想していたのでクロードもアンヴァル市民と同じくあわてず騒がず振り返ると、従者に扉を開けさせて長い衣裳を持ち上げ優雅に歩く、独特に染め分けた髪色の女。コンスタンツェ=フォン=ヌーヴェルであった。
「おう、久しぶりだ。飲み物もらおうか?」
「ええ、ええ。まずぜひとも召しあがれ。アンヴァルで人気沸騰中の特別のものですのよ」
従者に運ばせてきた茶出しの中身をコンスタンツェが新しい茶器に注ぐ。注ぎ口から現れたのは、熱を出した時の夢のような虹色に発光する液体であった。クロードはついに爆笑した。
「おっまえ、王サマを待たせると思ったらこんな、こんなん用意してたのかよ! これ流行ってんの!」
「お待たせしたことはたいへん失礼いたしましたわ! でもこれは当家の新発明した神秘なる魔ど……、ちょっと! ここはくすりとはにかみ驚き、しかるのちに興味に目を輝かせるところですのよ! 昨日ブリギット王は理想的な反応をしてくれましたのに笑いすぎではありませんこと?」
「あー……。お気をしっかり、王陛下。お察しいたします。普通のお水を召し上がりますか?」
従者が卓から取って差し出した水の杯をクロードはありがたく飲みなんとか落ち着いた。それで噴き出さないように胸を落ち着けてから、一応自分の従者が驚愕しながらも毒見を済ませてくれた虹色に輝く液体を物怖じせずにひと口飲んだ。味は、香り着けのない王道の上質な紅茶そのものであった。
「ふー……、面白かった。あのままコンスタンツェがずっとしゃべってたら笑いが止まらないで茶が冷めるとこだったよ。ありがとなユーリス。名前ユーリスでいいのか?」
うす菫色の髪の従者は美しい唇を片端上げた。
「どうぞお好きにお呼びください。私めは名もない従者でございますから」
「ユーリス、あなたが頼むから連れてきてあげましたのに、遊ばないでくださる? これは栄えあるヌーヴェル家の! お仕事ですのよ」
「ああもう、堅苦しいのはぬきにしよう。『クロード』が相手と思って今日は頼むわ」
「まあ、それは光栄ですこと。それでは学友?のよしみということで失礼して……。ユーリスも楽になさいな」
コンスタンツェのために扉を開けてきた従者は、数奇なことに、かつてガルグ=マク大修道院の地下窟アビスを仕切っていたことのある美男だった。大修道院やアビスにおいてはユーリス=ルクレールという名で通していたが、本当のところは知れない。
ユーリスはコンスタンツェが着席した椅子の背に添って立った。その二人の様子がこなれていたもので、クロードはふむと鼻を鳴らして切り込んだ。
「なんだ? おまえら、結婚した?」
「けっ、……ハ!? 何を脈絡のないことを言い出しますの! 結婚していたら従者扱いして連れてくるわけがございませんでしょ!」
「こいつの仕事、ちょくちょく手伝ってやってんの。変なこと思いつくし面白いから。わかるだろ?」
「わかるわかる。あーあ、アンヴァルの上流がすっかり珍奇なものを平気になってると思ったら、俺はすっかりコンスタンツェ嬢の披露する最新鋭の感性に先を越されちまってたってわけだ……」
「……何かひっかかる気はしますが、そういうわけですわ。今はゲルズ公の下につくかたちになっているのは少々気に入りませんけれど、新しい世の貴族コンスタンツェ=フォン=ヌーヴェルは、名誉輝く英才の発想で皆様の目を開かせておりますの。
本日、外交官としてユーリスとともに参りましたのも、そちらからの旧帝国領との貿易の質問にゲルズ公より的確にお答えするとともに、フォドラをより高みに導く新たな可能性を探して、東方の産物についてさらに学ばせていただくためです」
実際、コンスタンツェは紅茶を虹色に輝かせる以外にもいろいろな奇想天外をなして名声を上げていた。使いこなせる者が極端に少なく奇跡とも嘘八百ともうたわれた「革製品を砂糖菓子に変える理魔法」の開発をはじめ、ヌーヴェル家の栄誉のためなら常識外れの努力をものともしない姿勢は官僚として領主としての独特な手腕にもあらわれていた。
コンスタンツェは卓に地図を広げた。フォドラの従来のものよりいくぶん大きな、パルミラとモルフィス西部もしっかりと含まれた地図である。そう遠くない未来には、ダグザ大陸の東海岸も描かれることになる。紫の爪紅に飾られた指がそのうちの旧フレスベルグ領をくるりとなぞった。
「すでに貿易でご承知のとおり、このアンヴァル周辺の温暖な海辺の斜面では葡萄酒や干し葡萄、酢となる葡萄の栽培がさかんです。また、グロンダーズ平野は放っておいても豊富な小麦が育ちますわ。ヘヴリング産の鉱石や、旧王国領の木材など、今後もよい相場にてお取引きを」
「南フォドラの干し葡萄と、あと扁桃(アーモンド)の植物油はうちで安定して人気の品目でなあ。あと食い物でいうと同盟の干し果物と、カビつきで熟成させた乾酪(チーズ)だな。王国のものだと大蒜(にんにく)。俺としてはあっちでもキャベツが恋しくなることがあるんだが……」
「そうそう、そういうのですわ! 本日はそういうところに関してお話に参りましたの。つまり……」
コンスタンツェは片眉をひそめ、彼女の地下での親友がしたように少々口をとがらせた。
「失礼ながら、そんなもので良いのかと思うようなものに需要がありますのよね。大蒜(にんにく)とか。こちらで上等のものとされる橄欖(オリーブ)の油や葡萄酒はそこまで人気がないようですし……。それが貿易が美味なる利を生む仕組みなのでしょうけれど。そのあたりの時流を読むのは商人に任せますわ。
かと思えば、あなたがキャベツごときを食べたいと思っても難しいということもあり……。せっかく統一国となり、王の名のもとに街道も整備されてきて流通は良くなりましたのに、フォドラにもそういう滞りが多数ありますわ。どうにかなりませんの?」
「はは。需要と供給の偏りを、まとめて『どうにかなりませんの?』ときたもんだ。話がでかくて好きだよ。確かに個々の商人にはどうにもできんことだものなー」
「笑ってるし、俺もこいつの突飛なまとめ方は面白いと思うけどな、そんなもんは『土地の条件の違い』なんだよ。と、俺は言ってんだけど」
お得意の、目が笑っていないへらへら顔でコンスタンツェの話を面白がるクロードに、ユーリスが釘を刺した。
「コンスタンツェお嬢様はご自分の才知があればどんな苦境も虹色に輝かせられる~と思し召しのようだが」
「敬語を使うつもりがあるなら『ヌーヴェル卿』とお呼びなさいな!」
「そこは今いい。思ってるようだが、この世には生まれた土地の制約ってモンがある。王国は貧しくて貿易できる産物が木材と鉄製品くらいしかないが、そんでも女神さまにもらった大地と命だ、そこで生きていくしかない奴がほとんどだ。
土地だけじゃねえな。そこで生まれて、そこの当たり前の中で育ったやつの考え方は、どうしようもねえ。はたから見ていいものが安く手に入りそうだろうと、慣れてるものを食うってこともあるのさ。なんでも水が上から下に流れる法則のように変わるものじゃないんだよ。そりゃ、うまい飯を食えるやつが増えることには俺は大賛成だけど……」
コンスタンツェは現場の実感のこもったユーリスの言葉を覆せず、口元の扇の影でぶすくれた表情をしているようだった。ユーリスも、コンスタンツェの情熱をありがたくは思っているらしく、最後には気遣わしげな視線を送った。この話は二人で何度かしたことがあるのだろう。
難しい雰囲気になった二人を前に、他方クロードは緑の目を輝かせた。
この時を待ってた、すわ、やっとアンヴァル戦仕切り直し!
行き詰まった現状をかき回すことはクロード一生の生きがいであった。
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