「なるほどぉ、話題はわかった。確かにユーリスの言うことはその通りだよな」
「だろ?」
「で、だ。これはどうだ? パルミラにはキャベツがない。育てられたこともないし、流通もしない。その文化がない。おまえが言ってるのはそういうことだろ? しかし俺はキャベツが好きなんだよなあ。あっちでも食える方法があるなら、それこそヌーヴェル卿の名高き魔道の知恵でもお借りしたいね~」
「まあ。キャベツごときでそんな騒ぎに……とは思いますけれど、フォドラに利がある取引となるのでしたら力を貸すにやぶさかではありませんわ」
「と、可能不可能や細かい条件は別として、こういう交渉が成立したわけだ……。これは、さっきのユーリスの話からすれば『土地の条件の違い』の車を横から押してるみたいなことになるが、一体どうしてこの取引が成り立ったんだと思う?」
「そりゃおまえ、王様がキャベツ大好きだったからだろ……。参考になんねえ……」
「参考になるさ。じゃあどうして王様はキャベツを好きになったのか、ってこと。それはフォドラのメシを食ったからだ。知ったからだよ。知らなきゃ好きになりようがないし、ろくに知らんものを欲しいとは思えない。選択肢にない、ってことだからな」
「選択肢……」
真剣に聞いていたコンスタンツェが、宝石を手にとってよく眺めるようにつぶやいた。ユーリスは腕を組んで話を吟味していた。
選択肢という宝石を売る怪しい商人ことクロードはぺらぺらと話を続けた。
「便利なものがあればすぐにどこにでも受け入れられるってわけじゃない。それは真理だが、選択肢があるのはいいことだろ? 少なくともみんなが食っていくことに関しては、さ。選べないのは難しいからじゃなく知りようがないからだ。異国や違う身分に対する偏見とか、環境で生き方が限られちまうのとかと同じだよ。
そういうのをなんとかする知識をつけたり人脈をつくるために、俺は士官学校に入った。たぶんユーリス、おまえも同じだと思うがね。そこらへんの話をするのはどうだ?」
話を向けられたユーリスは長い睫毛を伏せ、少しの間黙って考えた。そして一度天井を見上げると、踵を鳴らして回り込みコンスタンツェの隣の椅子にどっかりと座り、笑った。
「さすが、卓上のなんとかさんは口がうまいじゃねえか。まさに、おまえと同じ時期にガルグ=マクにいてよかったね。確かに、そうとも。俺たちはみんな、『知らないことすら知らない』ことが多すぎるものな。乗ってやるよ」
コンスタンツェは首をひねり、扇の先に秀でた白い額をのせた。
「……多くの知識を調べ考えれば画期的な解決策が作れるものと考えていましたが、そう単純ではなさそうですわね。いえ、かえって単純なことなのかしら? つまり、実はそう難しくない方法でありながら、わたくしたちの考慮や民の需要の端にも入っていないために実行されていない奇策があるかも……、と?
昔のわたくしなら、フォドラについて帝国の研究者も魔道学院も知らぬことを、このコンスタンツェ=フォン=ヌーヴェルをおいて他の人間が知っているなどにわかには信じられませんわ、と言ったところですけども……、わたくしにもクロードの言っていることが腑に落ちる体験があります。ぜひ、『知らぬことすら知らぬこと』とやらについて話をいたしましょう」
「へえ。どんな体験だ?」
クロードは「コンスタンツェの壁」破壊事件について身を乗り出して聞いた。コンスタンツェはどこか誇らしげに答えた。
「ハピに、そのあたりの草や転がっている木の実の美味しい食べ方を教わったことですわ!」
クロードは噴き出しそうになり、ユーリスは実際噴き出した。確かに、「貧しい平民の食事」ですらない、コンスタンツェが本来知るよしもなかった世界との出会いの話であった。
「そんなわけだが、『知らないことすら知らないこと』を話すのは、そのまんまだと無理なはなしだよな」
「確かに、道理ですわ。主が啓示を授けてくださいませんと」
「一瞬で迷宮入りしたじゃねえか。何か策があるんだな? クロード」
クロードは片目を瞑って指を立ててみせた。
「だからこうする。『自分のところの、解決策に行き詰まってる困りごと』を話すのさ。なぜそんなことになってるのかもな。で、これが大事な点になるんだが、当たり前で子供でも知ってる事情まで洗い出すようにする」
「当たり前のことを話すんですの? 目的とまるで逆方向ではありませんか」
「だからこそ、だよ。『常識の袋には非常識が詰まってる』ってわけだ。あ、これいい詩だなぁ。今度ローレンツに書いて送ってやろ」
「あー……? ああ、……そうだな。逆転。妥当な方法だと思うぜ」
ユーリスはあいまいに頷き、コンスタンツェだけがクロードの「策」を理解しかねて二人の顔を交互に睨んだ。
「どういうことですのユーリス? あなたはいつも濁したことを言って」
「まあまあ。実際やってみようぜ。パルミラの話からな。
……で、ヌーヴェル卿にはいきなりの悪条件で悪いんだが、キャベツがパルミラで食えないのにはそういう前例や文化がないってだけじゃない、かなり無理な原因がいくつもあるからなんだよなあ」
「無理の程度によっては協力しかねますわね。どのような原因ですの?」
クロードは指を折りながら話しだした。
「さっき、キャベツをどうにかする取引がひとまず成り立ったのは『パルミラの王様がキャベツ大好きだったから』ってユーリスは言った。しかし実はそれだけじゃない。『フォドラではキャベツがありふれた食べ物だから』、も理由だろ。これがもううちの国からすりゃ考えられないことなんだよな」
「なんでだ? 詳しい知識はねえけど、飛竜や馬をああ立派に育てて肉もたくさん食べるパルミラ人の土地が、キャベツも育たねえような王国より貧しい土地だとは思えねえんだけど。キャベツを知らないってだけじゃなくてか?」
「あー、貧しい土地、ってもんの考え方の違いかもな。王国は畑をやっても収穫が少ないってのを貧しい土地って言うだろ。パルミラはそもそも、あまり畑をやらないわけよ」
「は? 畑をやらないって、都市の中の話か? それはこっちでも同じだけど……」
「あっ、わかってきましたわ! ユーリス、わたくし外交資料で読んだことがあります。パルミラには農村というものがほとんどないというんですのよ。キャベツの産地になれる場所がないということですわね?」
「そ、ご明察! うちの国では小さな豆の畑なんかはやっても、でかい農場みたいなものがないんだ。たとえ種があっても、キャベツ作ってくれって頼める専門家がいない」
「ほー、確かにキャベツは寒い土地でもたくさん採れるが、育て方は面倒だって聞いたことが……、……?
って、いや、その話はおかしくねえか? どんな国だって世の中は王族貴族だけじゃねえ。おまえらパルミラの武将たちは肉ばっかり食ってやがるが、それだけじゃ費用効率(コスパ)が悪いだろ。畑をやる農村がなきゃ、庶民はいったい何を食ってるってんだ? なんかしら麦だって作るだろうし……」
ユーリスは納得しかけていたが、途中で想像をはたらかせて矛盾点に突っ込んだ。クロードがまた微妙な偽情報を撒いて話を誘導しようとしていると警戒したのだった。
フォドラに住む人間のほとんどは農村の生まれだった。ほぼ一生をそこで過ごし、農民が土地を手放さざるを得ない状況になれば都市の物乞いにも野盗にもなる。ユーリスが世話をしている者たちの多くも、もとをたどればそういう事情を抱えていた。「面白いから」と言葉では言ったが、そういった困窮から弱者を守るために、ユーリスはコンスタンツェの研究や政策に協力して暗躍しているのだった。だから、まさか農民のいない国などあるはずがない、クロードはどんなからくりを隠しているのかと疑ったのだ。
しかしユーリスの勘ぐりに反して、クロードはあっけらかんと否定した。
「ユーリスくん、俺の言うことを疑うのはあっぱれなんだけどな、残念ながらこれは本当の話で何も隠してることはない。なぜかっていうと、パルミラの土地は『貧しい』んじゃなく『乾いてる』からだ。砂漠で草木は育たないだろ? それのもう少しマシなやつ。背の低い草くらいは育つが、さすがに小麦やキャベツを育てるのにはもっと雨がいるだろ。王都の周りはまだ他より水があるし気候も寒めだから、フォドラの野菜栽培もいけそうらしいんだがな」
「確かにそういう気候ならば、想像はしがたいですが、理論上はまともに農耕をするのは無理だとわかりますけれど……。わたくしも今まで意識していなかった疑問が湧いてまいりましたわ。もしかしてこれが『知らぬことすら知らぬこと』なんですの?
農耕ができず水もないのに、どうやってパルミラは王国をなすに足る数の民や精強な兵たちを養っているというのです。そもそもそんな場所に国を建てることなど可能ですの? いえ、現に強国がそこにあるので困ってしまうのですが……」
コンスタンツェの混乱ぶりを見てクロードはますます楽しそうに笑った。ユーリスも首をひねりつつ地図の広大なパルミラを見て考えていた。
「パルミラの民が何食って生きてるか。家畜の乳や肉だよ。葡萄酒や野菜や麦じゃない。俺たちの国では当たり前のことで、俺もこっちに来てから初めて当たり前じゃなかったのかと知ったことなんだが」
「ええっ、では獣からとったものばかり食べているということですの? 失礼ながら野蛮な感が否めませんわ……」
「野蛮とかはいいけどよ、それで腹が満ちるのか? 王国じゃ、家畜を育ててもそれが無理だったから困ってんだよ。無理じゃない方法があるなら大発見だぞ」
「ファーガス地方の参考にはならんかもだが、これもパルミラじゃ子供でも知ってることだ。俺たちは家畜を食わせて肥らせてくために、草原を部族ごとに移動しながら暮らす。そのへんの草を食い終わったら、荷物まとめて新しい草が生えてるとこに行くんだよ。だから牧草はたくさんある」
「は? みんな家族で旅してる……ってことか? 家とかどうしてんだよ」
「あっ、そう……? そういうことでしたのね!」
コンスタンツェは興奮した様子で地図のパルミラを指差した。
戦前よりもはっきりと、広い範囲が収まるようになったパルミラの地形だったが、フォドラの部分とは印象に大きな差があった。パルミラの地図は『すかすか』であった。フォドラの地図には都市や領地の名が所狭しと記載されているが、パルミラには王都の周りにしか文字が集まっていない。入ってくる情報が少ないから、のように一見みえるが、よく見れば山脈の線やそこから流れる小さな川、ところどころにある砦などのことはしっかりと書かれているのだ。
「このわたくしの聡明なる頭脳で話が繋がりましたわ! 商人にパルミラの村落のようすの絵図を送らせたところ、家々ではなく野戦の天幕のようなものを描いてきて皆困惑した……という事件が外務官僚たちの間でありましたの。王都以外の各部族長に連絡をつけようとしても旅程がはっきりしないことがあるのは、あの天幕を住居として使い、たたんでは各地を移動しているからですのね?」
「おう、そういうこと」
「え、天幕が? 普通の家だってのか? ……やりようによっちゃ使えるかもしれねえな……」
「それでは麦畑などできませんわね……。王都以外ろくに都市も町も村さえもないのですもの。衝撃ですわ……それでも強い国となれますのね……」
「おいおい、うちにはわりと新しくできた王都以外、フォドラみたいな決まったとこに住む町はないって、新しい地図作るときちゃんと伝えさせたはずだぜ。伝わってなかったのか? 今までなんだと思ってたんだよ」
「文言としてはそのようなことを読んだ……? ようにも思いますけれど、そんな不思議な生活うまく想像できませんもの! 『友好国となったというのに城や町の場所を公にしないなど不届き千万、さては戦の野心があるのですわ……』と思っていましたとも」
「あちゃ~、不毛な疑いだぜ……!」
クロードは笑いながら頭を押さえた。まだクロードが砕かなければならない不毛の壁はいくつもあるらしかった。
→次ページへ続く

※コメントは最大500文字、3回まで送信できます