パルミラ王カリードとヌーヴェル子爵コンスタンツェという稀代の鬼才ふたり、そしてフォドラ裏社会の大物の三者三様の頭脳による「知らぬことすら知らぬこと」会談。会談はフォドラとパルミラの衣食住の土台の桁外れな違いを知った後、要領を得て、いくつもの小さな驚きをもたらしながら進んだ。
クロードの住む王都周辺、およびパルミラ北部くらいの気候ならばフォドラ野菜が育てられそうだとして、問題はその需要を喚起してうまく栽培と流通を根付かせること。つまりキャベツのおいしさをパルミラの民たちにも知ってもらうことだとクロードは考えていた。
当然の確認だったが、一番パルミラに近いゴネリル領からでも、生のキャベツをパルミラ北部まで輸出するのは難しいだろうという話になった。旧同盟や旧王国くらいの気候であればキャベツの保存に問題はないが、パルミラは想定よりさらに乾燥し、しかも昼夜の寒暖差が激しかった。目的地に着くころにはしおしおヘナヘナのキャベツ玉が完成することになる。
「いっそ乾物にして持ち込めばいいんじゃねえの。かさばらねえし。干した葡萄や無花果(いちじく)は人気なんだろ?」
「えっ、キャベツって乾物にできるのか? でも俺はあのみずみずしさを好きになったんだよな」
「まあ! それはそれは、ほかならぬこのコンスタンツェ=フォン=ヌーヴェル! の出番のようですわね!」
クロードくんの「乾物しか無理でもみずみずしいキャベツを用意してよ~」という尖ったワガママを聞いて、突然コンスタンツェは立ち上がって腕を振り上げた。
男二人が薄ら笑いでなんだなんだと見ていると、標本として厨房から持ってこさせていた話題のキャベツを一片、ひと口大に切り分けはじめた。
「いまだこの世の誰も知らぬ新技術、刮目してごらんなさい!」
「コンスタンツェのお料理教室が始まった」
「料理してから持って帰るってのも案ではあるが、道中腐らないくらいの味付けをしたら結局みずみずしくはないかもなあ」
「あ、王国料理に発酵させた酢キャベツならあるぜ。あれ壺で持ってったら。腐るかな?」
「お黙りなさい、気が散りますわ。ユーリス! 魔法を手伝うのです」
「あ? 二人がかりでなんだ」
それからコンスタンツェはユーリスに指示通りの強さと呪文の構成で風魔法をかけさせ、自分も独特に構成した氷魔法をキャベツ片に向けて込めた。かなり複雑な呪文構成で理学を専攻していなかったクロードにはさっぱりだったので、目の前で大の大人ふたりがキャベツに向かって真剣に魔力を調整しているさまを密かに面白がるほかなかった。
「ハァ、ハァ、完成ですわ! おーっほっほっほっほ!」
額に汗しつつ、できあがったキャベツ片をひとつつまんでコンスタンツェは高笑いした。突然働かされたユーリスも思わず涙を浮かべ口元を押さえる超現実的な絵面であった。
「なかなかの出来栄え! これをアンヴァル土産に持ち帰り、この魔道の大家の名声をパルミラ王都にまでも轟かせるとよろしいわ」
キャベツ片は硬く縮んだようで、宝石を作ったかのように得意げにつまみ上げるコンスタンツェの指の上にぴんと立っていた。笑いの発作がおさまってからクロードは聞いた。
「コンスタンツェ、俺の土産に何を持たせてくれるんだ? こりゃ何をしたんだ?」
「説明してさしあげましょう。大枠で言えば、魔道を使った乾物の一種……ということになりますわ。しかし通常の熱魔法や風魔法を使った乾物とは大~~きく違っていますの。ご覧あれ」
コンスタンツェは乾物キャベツを二、三取り上げ、新しい茶器に入れてクロードの目の前で湯を注いだ。
するとキャベツは湯の中で花の蕾がひらくように、見る間にふわりとほころびていったのだ。クロードは目を輝かせて歓声をあげた。
「なーんてこった、はははっ。なあ塩あるか? 飲んでみていいか」
「ふふふ、召し上がれ召し上がれ」
「やけに水に戻るの早くねえか? なんだァ?」
クロードは茶器の中の謎のキャベツスープをぐいと口に入れ、舌や歯で慎重に味を試した。その歯がキャベツ片を噛み潰したとき。
「ん、ん~! ……おいおい! こりゃかるく煮たキャベツの歯ごたえとそっくりじゃないかよ! しかも旨みも濃い感じだし、かなりうまい」
「なんだそれ、また使いどころの変な発明を……」
「おほほ、そうでしょうとも。まだ開発中ですが、これはお野菜のみずみずしい歯ごたえと風味を封じ込める革新的な魔道ですのよ。キャベツの種や育成技術を買い付けてくださるのも悪くはありませんが、利便性もすばらしいこちらの加工品をお求めいただければお互いに利があるのでは? これで交渉は決着ですわ~! 関税を決めませんと」
「いや。うまいんだが、そしてすごいんだが、コンスタンツェ。あのな……」
新しい貿易を取り付けた手柄にコンスタンツェは飛び跳ねるようだった。しかし、クロードはそれを遠慮がちに止めた。
「話を思い出してくれ、パルミラに畑があまりないのはなんでだった?」
「土地が乾いていて、定住せず草原を移動する牧畜が中心だからでしたわね。それが何か」
「だからこういう、湯で戻すとか……麺とかを茹でるみたいな調理法は珍しくて、たぶん一般には無理でな……。水をたくさん使えないわけで」
「あうっ……! そ、そう……とも考えられますわね……」
「……おーい、ちょっといいか? 俺も基本的なこと忘れてたら悪いんだけどさ……」
さきほどのキャベツの逆のように見る間にしぼんでいくコンスタンツェの方にさりげなく肩を寄せつつ、ユーリスが挙手した。
クロードは頷いて発言を促した。
「水が料理に使えなくてもだ、さっきみたいに汁も飲むなら、家畜の乳(ミルク)で煮たら良くねえか? 王国料理じゃ普通なんだけど。そっちも飲める生水はない、葡萄も育ててないじゃ、王国と同じで乳を飲んでるんじゃないかと思ってたんだけどよ……」
「あら、本当ですわ。田舎風の料理にはそういうものもありますわね。簡単なことじゃありませんの。たぶん牛や羊の乳でも問題なく戻りますわ」
「……へ? 乳? 煮?」
「へっ?」
「ええっ?」
クロードは虚を突かれたような顔で聞き返した。まさかそんな反応をされると思わなかったユーリスも思わず聞き返し、さらにその反応にクロードはもう一度聞き返してしまった。
コンスタンツェは二人の顔を見比べた。
「なんです? できない理由がありましたの?」
「いや、……あー、これは知らんことも知らなかったやつだ。一本取られた」
「あ? まさかパルミラは乳で煮込みや汁物作らないのかよ? 牧畜して生きてんのに? そんなことある?」
「パルミラじゃ家畜の乳は、基本発酵させたり乳酪や乾酪みたいに固めたりして食うから、液状の乳をそのまま使うって発想がなかったぜ……! そういや大修道院では白い煮込み出てくることあったな! 小麦粉の色かと思ってたよ」
「で、それは結局パルミラでも可能ですの? もしや、そちらの神の教義では生乳を料理に使ってはいけないとか……」
クロードはたまげて額を押さえていた手を放し、天に向けて広げてからぐっと握ってみせた。
それを見て、コンスタンツェも目を見開いて拳を突き上げ、ユーリスはクロードの拳に拳を合わせた。勝利であった。小さいが、三者三様の常識と非常識の勝利であった。
パルミラ北部にフォドラやモルフィスの野菜栽培が伝来した時代、「凍り野菜の乳煮」なる料理が一時期流行した。
「凍り野菜」の技術がいかなるものであったのか、その時代ののちは数百年の間失伝することになるが、魔道の奇才C=ヌーヴェルの秘術であったとされる。C=ヌーヴェルと友誼を結んだ当時のパルミラ王のキャベツの乳煮宣伝戦略はパルミラ北部の農業奨励に大きな効果をあげたという。
自国で作られるようになったキャベツやカブをたいへん好んだ彼は、古来からパルミラ王が呼びならわされる尊称「草原の王者」ではない名でしばしば呼ばれた。――「大地の王者」と。
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