――アンヴァル、パルミラ新王カリードとフォドラ統一国外務官僚コンスタンツェ、その従者に扮したフォドラ裏社会の大物ユーリス(仮名)の会談、また別のお話――。
「今度はわたくしのほうの困りごとですわ。もしこれが部分的にでも解決すれば大変なお手柄。悔しいですがクロードとユーリスの知恵を借りるのは非常に有意義だとわかりましたから、この機に話すだけは話してみましょう。こちらをご覧あれ」
コンスタンツェはユーリスに持たせてきた書類の一部を広げてみせた。ヌーヴェル領の農産とそれに対する租税の報告書であった。クロードはわくわくと覗きこんだ。
フリュム領がエーギル公や帝国の胡乱な勢力に治められていた間ひどい有様になっていたのとは違い、ヌーヴェル領はコンスタンツェの家が零落していた期間もまともな管理がされていたらしく、書かれている数字は信憑性のありそうなものだった。
クロードから見て、その信頼度を高めていた情報は皮肉にも「徐々に減っている」小麦の生産量だった。ずさんな捏造の入った報告では、最新の報告までつながるなだらかで確実な下り坂が作られることはあるまい。
「このとおり、我がヌーヴェル領の小麦の収量は減り続けております。少しずつですが、もう十年もすれば危機的状況になるでしょう。旧王国領でさえ農法の改善がなされ、収量が上がってきているのにもかかわらず……です」
「そいつはよろしくないな。このくらいの微々たる減りなら、ヌーヴェル卿のご威光でどうにかできないのか」
「ふざけないでくださいな。確かにわたくしはヌーヴェル家にさらなる栄誉をもたらしてみせるつもりですし、そうなれば当家の地位は安泰、租税収入が減っても官僚としての俸禄もばっちりでしょうけれど、畑の実りが減り領民の心が荒んでいるのに自分ばかり華やかに暮らすなど、そんなもののどこが貴族といえますの。貴族は人心を安らげ模範を示し、民を気高い心持ちに導くものですわ」
コンスタンツェの啖呵にクロードは興味深く感心した。ローレンツにしてもそういう性質が強いが、フォドラには「部族を導く族長」ではない、「土地を治める貴族」というものがいるのだ。それがクロードには面倒くさくもあり面白くもあった。
パルミラでは基本的に、ひとつの部族の全員が草原の戦士とその家族たちで、しかも部族の全ての家族が族長と血縁や密な交友関係で結ばれた親戚のようなものだ。食糧問題や戦などで部族の民に危機が迫れば、族長が戦略をめぐらせ、旗をひるがえすように部族全員を動かして対応することになる。
だがフォドラの民は土地を耕し、土地に根付くものであるから、フォドラの指導者たちはそれを動かしてはたちゆかず、土地の上の暮らしを守ることになる。ローレンツがフォドラの貴族を羊飼いになぞらえていたことがある。それにしても土地から動けない羊を飼うのは難しいだろとクロードは思っていた。
貴族ならぬ薄暗がりの王であるユーリスがコンスタンツェの言葉を引き取って言った。
「パルミラじゃ、畑はあんまりねえと言ってたが……フォドラでそんなことになったら大変なことなんだよ。不作が続いたら、もし運よく飢え死にや疫病を免れたとしたって税や地代が払えねえ。持ってる畑を耕すしか生きてく術がないのに、領主がヘボで魔獣や賊や天災なんかから守ってくれねえこともある。
そうなったら畑やってたやつらは、仕事があるんじゃねえかって都市に夜逃げしてくる。生まれ育った家も全部捨ててな。飢え死にを待つよりゃマシだから。でもそんな奴らは星の数ほどいる。で、都市は夢の楽園じゃない……」
「人心が乱れ賊が跋扈(ばっこ)するのは民草が愚かなせいではなく、彼らが営々と積み重ねてきた生業を貴族が守れず捨てさせてしまうからだと、恥ずかしながらアビスに暮らしてのち考えるようになりました。『善き心は日々の勤労と正しき生活の中でのみ育まれる』と聖キッホルもおっしゃいます。ですから、わたくしはわたくしの民に……、いえ、フォドラすべての民ですわね、に、先祖伝来の土地と仕事を心ならず捨てさせるわけにはいかないのです!」
鼻息を荒げるコンスタンツェに、ユーリスはかすかにだけ微笑んで視線を向けていた。なるほど、この二人の間にはそういう利害関係があるのかとクロードは観察し、いや、「利害関係」というと自分の考え方に寄せすぎかもしれない、とも考え直した。ローレンツに取引も冗談も入り混じった親書をしたためるときの自分も似たような顔をしているのだろうか……とも。
「わかったよ。だめな土地はしばらく捨てていくとか、農業がダメならまったく別のこと、っていうような奇策をうつ問題じゃないってことなんだな。それで、このちょっとずつの悪化の原因はわかってるのか?」
「ええ。主な原因は塩害ですわ」
塩害、というのはクロードにとってはフォドラに来てから学んだ概念だった。正確に言えばパルミラにもあることだが、あまり大きな問題にはなっていない。
農耕のために地下水を汲み上げ続けると、土中の塩が地表の近くにあらわれてくることがある。海辺や、塩の湖の近くであればさらに。塩の強い土で育つことができる植物はきわめて少なく、そしてフォドラの主なる作物である種々の麦や、収量豊かなキャベツもそのうちには入らない。パルミラでも塩の湖がある周辺や、全域でも、雨が少ないために地表の塩が洗い流されない。それも農耕がさかんに行われてこなかった原因の一つなのかもしれないが、そのことについて調べているパルミラ人がいるとは聞いたことがなかった。パルミラには家畜の食む草と、それを求めて駆け巡れる広さがあれば問題がなかったからだ。
コンスタンツェは続けた。
「わがヌーヴェル領、およびブリナック台地の周囲は、温暖で安定した気候ですがフォドラの中では乾燥ぎみの土地です。小麦農業が発展し地下水を汲むほどに土地の表面に塩が表出し、徐々に畑に使える土地が目減りしていくことはこれまでにもわかっておりましたの。かつては開拓を奨励することで減る土地を補って成長していましたけれど、もちろんそれには限界があります」
「塩も、農民に土地を捨てなきゃならなくさせてる原因ってこと。貴族のやつらの無責任や重税ばかりじゃなく、そういうこともあるんだよな。やりきれねえよ」
ユーリスは実際に使い物にならなくなった農地か、それを捨ててきた流民を世話したことがあるためだろう、苦い顔をしていた。
「同じことを聞くようで悪いんだけどさ、それってこう、同じとこで畑をやりすぎて土が悪くなるのの対策みたいに、いくつかの畑をぐるぐる回すんじゃ解決できないことなのか? パルミラでは牧草地をそうしてるわけだが」
「それが、困ったことに数年放っておいても塩害は地力のように回復しないと古くからの調べでわかっているのですわ。実はわたくし、ユーリスに助言され魔道で良質な土を作る研究もしていましたの」
「へぇ! それがうまくいけば王国の農地とかはものすごく助かるんじゃないか? すごいなコンツタンツェは」
「おーっほっほっほ! たかが土とひそかに思っておりましたがやはり? そうでしょうともこのコンス……、
……ではなくて、ええと、肥料の材料と作物を育てた後の土とをさまざまに混ぜ、魔道で『つくり』を変える促進をするのですが、今年塩害の出た土で試してもそれだけはうまく種が育っていないのです。決して諦めてはいませんけれど、連作障害よりも手ごわい問題だということですわ」
コンスタンツェは「たかが土」に対してかなり身を入れて研究体制になっているようだった。ユーリスは庶民の役に立つようコンスタンツェの奇天烈な頭脳をうまく操縦しているのだなあとクロードは感心した。褒めれば炸裂する女コンスタンツェ。
ユーリスは加えて分析した。
「俺が思うに、塩は草木や動物の体みてえに土に還らないんじゃないのかってな。『つくり』じゃなく材料の種類?っていうか……が、はなから違うんだ。皮肉なもんだよな、塩がなくても俺たちは生きていけねえってのに。いっそ土から塩が採れりゃ一気に逆転勝ちなんだが……」
「採れるんじゃないのか? 塩は水に溶けるしフォドラには川があるし、こう、篩(ふるい)に入れて洗うとかしてさ……」
「篩で土を洗うことはできるし塩水とも分けられるけどな、おまえブリナック台地から西をタライでじゃぶじゃぶ丸洗いするつもりかよ? 女神様の手が天から伸びてこなきゃ無理ってもんだな」
「あー」
クロードは頬をかいた。山を裂こうとか海を割ろうとか突飛で大きすぎることを言うのはクロードの癖であった。しかしコンスタンツェは驚かず続けた。
「クロードの言うことにも一理があるのです。土地を『洗う』ことは塩害の有効な対策として行われてきたとのこと。しかしそれにはもちろん大量の真水が必要……。土か水のどちらかを運ばねばならないことも途方もないですが、もともと乾燥した地域だから地下水をひいているのですもの、ブリナック台地周辺の河川の水量で洗い流すのは難しいのですわ。もし我らを憐れに思し召した主の御手が差し伸べられたとしても丸洗いは不可能、というわけですわね」
コンスタンツェは指先でヌーヴェル領の輪郭をなぞった。帝国の西端の半島部に位置するヌーヴェル領は、領地を二又に分かれた川と海とに縁どられている。
「しかも、わが領地はおそらく、河口付近から海の塩の影響を受けています。
わたくしの父母は、これらの川の下流がまれに氾濫して家を流される民を憐れに思い、川底を掘って下げる事業をおこなったことがありますの。幼いわたくしはなんと立派なと誇りに思っておりましたが、今にして記録を振り返ると……その頃に一度急に塩害が進んでいたのです。おそらく、川底の下に海から来た塩が眠っていたのですわね。このわたくしが父母の事業の責任をとらねばなりません」
決然と厳しくしたコンスタンツェの顔をユーリスは目元をしかめて斜めに見た。
「それで洪水から家が守られたやつらがいんだから、おまえのおやじさんおふくろさんは良いことをしたんだろ。それにおまえのとこの土地の河口の周りじゃうまい魚だの二枚貝だの甲殻類だのがとれる。漁師だって領民なんだぜ」
ユーリスが義侠心にあふれた激励をしている一方。
クロードはコンスタンツェの話を聞いて「もしかしたらいけるかもしれない案」をひらめいていた。例によって最終的に自分の得にもなる案を。
「そうだ、そうだ。川の流れに干渉するなんて、さすがは治水に優れた帝国の知識人だよなあ」
「それはそうですとも! ヌーヴェル家は優れた学識で常に……」
「ヌーヴェル家伝来の技術ならさ、俺の前の本拠地のデアドラでおなじみのあれ、『水門』って作れるのか? 海と川の間にさ」
「もちろん、水門は川から勝手に海へ航行する者を取り締まるためにも、高潮や川の水不足の際に海の水が流れ込んでくるのを防ぐためにも当然設置してありますわ。当家の技術は最先端ですのよ」
「おお、よかったよかった。じゃあこういうのってできるか? その水門を、川の水がちゃんと流れてくる季節にも閉めといて……」
「水を余らせてため池を作るっつー話? 人力で水まくぐらいじゃ土を洗うのにはな……」
「まあ聞けよ。で、畑を川の水面より低く作ってな、畑に水を流してって、水浸しにする! できそうか?」
コンスタンツェとユーリスはクロードの言った畑(かもわからぬもの)の状況を思い浮かべてみた。見渡す麦畑が巨大な水たまりの群れ、あるいは泥の湖のように変わっているさまを。
クロードの言っていることとは逆に、ファーガス地方の一部の湿地ではわざわざ干拓をして農地を作るのだ。水浸しの畑など聞いたことがない。確かにそれならば地表の塩の問題には進展があるだろうが、そんな状態では麦を植えても育たない。
「クロード、おまえなあ、さすがにそれは山を裂くみたいな冗談だぜ。そんな大雑把なことしたら結局畑じゃなくなって本末転倒じゃねえか」
「夏の水不足の時期以外は一応可能ですし、塩害には悪くない方法かもしれませんから、ひとつの参考として覚えておきますけれど……。たとえ地表の塩を水で薄めてから水を抜いたとしても、当家の領地はあまり水はけがよくありませんの。きっと作物の根が腐ってしまいますわ」
「ほー! それは最高なんじゃないか?」
「ぬぁんですってー⁉」
人の不幸を喜ぶかたちになったクロードの返答に、侮辱されたと思いコンスタンツェは決闘を申し込まんばかりに立ち上がった。クロードは反応が読めていたのか、あわてず騒がず何やら懐を探った。
「おい落ち着きやがれコンスタンツェ、いくら無礼講でも隣国の王様だぞ」
「そうだぞー、まあこれでもよく噛んで食って落ち着いてくれ」
「なっ、毒薬ですの⁉ あむっ……」
コンスタンツェはクロードが懐中の布袋から取り出した白っぽい塊のかけらを口に突っ込まれモグモグした。口元に指が突き出される一瞬前に、クロード自らも同じ塊からひとかけら取って笑顔で自分の口に入れてみせたので、つい口を開いてしまったのだった。そのまま、クロードの動きを鏡で映したようにもむもむと口を動かしてしまう。
「あ? なんだこの状況……。コンスタンツェ? 大丈夫か? 舌とか痺れてねえか?」
「ユーリスまで毒だと思ってるのかよ、信用ないねえ。俺も同じもの食ってみせてるじゃないか。というかここで突然の毒は利がなさすぎだろ。俺おまえにさっくり殺されるよ」
「毒じゃなくてもおまえの行動は十分意味不明だし、おまえ少々の毒なら慣れてる手合いだろ。……おいコンスタンツェ、普通の毒消しならあるからな? 何食わされた」
「……あまくなってまいりましたわ……」
「ああ?」
コンスタンツェはもはや自分の意思で積極的にモグモグしていた。口の中にものを入れたまま話す不作法を見られぬよう扇で口元を隠しながら一言だけもごもご発してまた噛みはじめ、そうまでして噛むのをやめない。明らかに、あの見た目の量の食べ物を噛む時間として普通ではなかった。干し魚の皮かなんかみたいだな、とユーリスは思った。しかしそれは噛んでも甘くはない。
「そういや、ユーリス甘いの好きだったよな。おまえもよく噛んで食ってみたら? ほいよ」
「……お、おう? ありがとな、……菓子なのか? 砂糖の色……?」
クロードにまたひとかけらちぎって白っぽいものを渡され、ユーリスは軽く眺めてから警戒しつつ口に入れてみた。透けるような白い小さな粒が、細切りの木の実をまぶした焼き菓子のように繊細に寄り集まっていた。口に入れると粒どうしは簡単にほぐれ、粒を噛むと芯がある。モルフィスプラムの中の種のように噛んではいけないものなのかと一瞬ひるんだが、ゆっくりと噛みしめてみると、芯はつぶれ、かすかな甘み。
砂糖が表面にまぶされているのとは違う様子の、やわらかで豊かな甘みであった。これは即効性の毒などではないな、と判断してユーリスは甘みを追ってさらにモグモグ噛んだ。粒をひとつ残らず噛み潰すようにすると、その仕事が終わったころには芳醇な甘味が口の中に満ちることになった。
「んん、……はぁっ……。いつ飲みこむものなのかわからず、おいしいのでずっと噛んでしまいましたわ……。オホン! パルミラの菓子は初めて口にしましたが、たいへん珍しき美味ではありませんか! 求める貴族はおりましょう。これを貿易することと、塩害になんの関係がありますの?」
「……ん、そういう話だったなそういえば。あー、うまいなこれクセになるなァ……。白パンや牛の乳もよく噛めば少し甘くなるけどそんな程度じゃねえし、なんか香ばしくもある。まあお高い菓子の話は置いとくとして今は畑の問題を……」
「これの、今噛んだうまい粒が、さっき言った水浸しの畑で作れる……って言ったらどうする?」
コンスタンツェとユーリスは目をむいて驚いた。ユーリスはまだ少しモグモグやっていた。
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