カリード王アンヴァル会談録「ライス」 - 3/4

「……お話を整理しますわね。先ほどクロードが分けてくれた美味なる菓子は、麦のように実る東方の穀物を蒸して少々発酵させ乾かしただけの保存食で、その穀物は水をたたえた畑でよく実る、と……」

「しかもそれ、コメ、だったか? 米は麦より手間こそかかるが、うまくすりゃあひとつの畑あたり、麦より数倍多い粒が生るってか?」

「そうそう。俺もこれを売ってるモルフィスの商人から聞いた話なんだが」

「それなら塩害で畑にできる土地が減っちまってることにも、世話して食うための畑がなくてあぶれまくってる奴らにも一気に対応できて最高だが……。同盟の笑えねえ笑い話でよく聞く、『いい儲け話を聞いたからおまえだけに話すんだけど……』ってヤツにしか聞こえねえな。うまい話すぎて不審」

試食のつかみから始めて「米」なる穀物の紹介をしたクロードは、話しぶりがよくできすぎていてものすごく疑われていた。

クロードは胡散臭がられることには人一倍慣れているので、笑いながら平気で話した。

「その笑い話は俺も聞いたことがある。ああいうののどこが嘘の見分けかってな、『じゃあおまえがやって儲けてみせてくれよ、それからにしてくれ』っていうのが大きいよな」

「それですわ。クロード、あなたの国に農業の習慣がなく米を育てられそうもないのはわかりますけれど、そんな夢の作物がもしヌーヴェル領でも育てられそうなのだとしたら、なぜフォドラの他の地域にはこれまでの長い歴史の中で伝わってきていませんの! あなたのお話が本当なら、今ごろフォドラの民はパンではなく米ばかり食べているはずですわ。米だらけですわ」

「何か不利益とか副作用があるとか、か? 今までには今までのやり方の理由があるもんだ。状況をひっくり返すのはいいが、やばいもんを引き入れるのはごめんだぞ」

「うーん、例えば、実は俺の父親が昔フォドラから見たことない飛蝗(バッタ)をたくさん捕まえて帰って放しちまったら、その次の年からバッタの大量発生の様子がちと変わったって事件があったらしくて……」

「おまえのおやじさんってことはパルミラ先王だろ。なんだその行動力のデカすぎる悪ガキみたいなのは……」

「まあそういうこともあったらしくてな、生き物をもともといなかった土地に入れるってこと自体の危険はあるかもだ。そこはなんともだな」

実例を挙げて外来の生き物のもたらす思わぬ害があるかもしれないことを誠実に言うクロードに、コンスタンツェはいくぶん疑いの勢いをゆるめた。

「……その危険はパルミラにキャベツを入れるのも、われわれがダグザの作物を調べているのでも同じでしょう。変化は覚悟の上ですわ。わたくしはただ、これまでフォドラに米が伝わってこなかったことに理由がなければ納得しかねると言っているだけです」

聞く耳を持ってもらえてクロードはバッタに感謝し、これまた「パルミラ先王がフォドラから持ち込んだきれいなバッタ」である緑の目を輝かせた。

「それにはちゃんと理由があるぞ。俺はフォドラに来てから考え続けてたんだよな! なんでここには米がないんだろって……」

「あんだけいろいろ頭使いながらそんなこと考え続けてたのかよ。食い意地張ってんな」

「理由は、それこそユーリスの言った『土地の条件の違い』がでかいな。まず、米はファーガスじゃあたぶん育たん」

ユーリスは眉を下げて残念そうな顔をした。麦の実りが少なく砂糖黍(さとうきび)も育たぬ旧王国領の貧しさは、米では解決しないということだった。それでもヌーヴェルやフォドラ南西部で育てることができれば、少し旧王国領の食糧事情にも余裕が生まれるはずだが。

「寒いのが一番苦手な作物らしいからな。それが、パルミラの北部で作れない大きな理由でもある。うちは夜が寒い。その点、ヌーヴェルは気候が穏やかであったかいんだろ?」

「ええ。その点には問題ありませんが……」

「実は同盟でもモルフィス商人の持ち込んだ米が出回ることはあるんだ。でもあまり流行らないみたいでな……大規模に育ててはいない。なぜかっていうと、同盟や帝国南部では放っておいても麦が実る。雨も降るしな。グロンダーズ平野の小麦もあるのに、誰も手間のかかる異国の穀物を主に食おうなんて思わないってわけさ。で、同盟でも帝国南部でも王国でも食わないんだから、さて、ヌーヴェル卿のご領地には……どうかね?」

クロードはモルフィスからの交易路をたどり、地図の各地域を順々に指さしていった。ここでは求められない、ここにも必要ない、ここでは育たない……。当然、東から、西へ、西へ。

そして、交易路の西端にあるのが、――オックス領、ヌーヴェル領。ブリナック台地より西の温暖な、しかし塩害に悩む地域であった。

「なん……と、いうこと。つまり……」

コンスタンツェは扇で口元を隠しながら地図の東西を何度も見渡した。ユーリスは驚いた口元を隠さず、うす菫色の髪をわしわしと掻いた。

「つまり、『うまい儲け話』を……伝えるやつが今までいなかったってことか? 南西部の事情がわかってるやつの周りには、南部のやつと、せいぜい北西部のやつしかいねえ。南西部にとっては都合のいい話でも、周りのやつらには用のない話……」

「確かに、確かにヌーヴェルは帝国の外務をつとめてまいりましたが……、それはフォドラの内やアルビネやブリギット、ダグザとの外務。パルミラやモルフィスは帝国にとって隣国ではありませんでした。東方の異国とこうして会談するヌーヴェルの者は、きっとわたくしが初めて……のはずですわ。『知らぬことすら知らぬこと』……」

興奮に目を丸くしている二人を見てクロードはにっと笑った。パルミラ商人の手引きでモルフィスから輸入された米の種籾(たねもみ)の育成がヌーヴェル領で試験的に始まるのはもうすぐのことであった。カリード王の計算された矢は、今回も見事壁を穿ってみせたのである。

 

フォドラ統一国成立から時をおかず、ヌーヴェル領は当時珍奇だった農業を成功させた。東方から伝えられた稲作である。

このフォドラ南西部における稲作の開始はパルミラ王カリードの戦略であり、フォドラ統一国の食糧事情に恩を売りつつもうひとつの目的を達成するものであった。当時パルミラでは米の需要が高まっていたが自給は不可能であり、すべてをモルフィスからの輸入に頼っていたため、モルフィスとの関係悪化があれば米の輸出止めを外交上の武器として利用されるおそれがあった。フォドラ南西部との米交易を対外的に示すことで、もしものときの不利な依存を打ち消してみせたのであった。この故事からパルミラでは、依存の危険を分散する選択肢のことを「ヌーヴェルの米」と言う慣用句が生まれた。

 

稲作のために作られた水田は塩害に苦しめられていた多くの農地と、それ以上に多くの農夫たちの生活を救い、どこから聞きつけたのか、ヌーヴェル領に仕事をみつける流民も多くあったという。
後世にもヌーヴェルの名物料理として残っている、米に香辛料と魚介を混ぜて炊いたものは、海の恵みと塩害の克服を両立した象徴でもある。この料理、およびこの時期作られた米を使った菓子類には、ごくたまに領地を視察に来たC=ヌーヴェルの介添えをしていた、彼女が老貴婦人となっても何十年もまったく年をとっていないように見えた美青年が考案したものであるという、不思議な俗説がある。
今もこの食べがいのある大鍋料理は庶民の胃袋を満たし、にぎやかで幸せな大人数の食卓には欠かせないものとなっている。

 

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