褪せぬ秋の日 - 2/4

角弓の節の風が夏の終わりを告げてのち、フォドラは葡萄の実りと冬の準備へと向かうための季節を迎えていた。

 

家督を譲られて初めての領都の葡萄酒祭を無事に終わらせたローレンツは、飛竜の節の下旬、ガルグ=マク大修道院を訪れた。消えてしまった元・盟主からの密書を携え、恩師と今後の旧同盟領のゆくべき道を相談するためだった。師は困った元・盟主(あの生徒)のやっていることをおおむね察していたようで、いつも通りローレンツばかりが彼に振り回されて悩み惑っている心のうちを一人で話してしまった。

師は最後に静かに「クロードはローレンツを信頼している。自分もローレンツの判断は信じられると思う」と言っただけだったが、聞いてもらううちになぜか不思議と考えはまとまった。今は師の勧めを受けて、懐かしい学び舎でもある大修道院をゆったりと散策しているところだった。主だった場所の補修は終わり、外壁の崩れに対してもさかんに職人たちが仕事をしていて活気がある。

 

最近再開したガルグ=マク士官学校の生徒たちの、かつてローレンツも着ていた制服とすれ違う。視界に入れるだけでローレンツを名家の貴族であろうと察した貴族の男子が上品な仕草で礼をとってくれ、ローレンツは好感を覚えた。少しばかりあわてた様子なのは、彼が後ろ手に隠すようにした花が原因であろう。大輪の薔薇などではなく、ささやかな花のついたほとんど草のようなものだったが、小さな花束のようにリボン飾りで結ばれていた。星辰の節の舞踏会まではそう時間がない。意中の女性に贈るのだろうか。

あの小さな草の花を贈るということは、相手は気取らない平民の女性であるのかもしれない、とローレンツは思いを巡らす。しかし、士官学校が再開したばかりの今の世情でここに学びに来る平民の女性とはいかなるものであろう、それはレオニーのように稼ぐ戦士になろうという強烈な女性か、あるいは箔と人脈を作って貴族と結ばれることを親に望まれている女性か……。などと、思い巡らせているあいだに、草花の爽やかな香りを残して彼はゆき過ぎていった。

 

学生たちが駆け込んでいく昼時の食堂の脇、中庭の薔薇園は変わらずみごとなものだった。いや、戦争が始まって大修道院に人が戻ってくるまでの数年は荒れていたのだから、変わらずというのはおかしい。薔薇は手がかかる植物だとグロスタール家の庭師からの報告にも聞く。変わらないかたちに戻した人の手があるのだ。
今まさに薔薇の垣根に手をかけている修道士にローレンツは声をかけた。

「もし、薔薇の修道女どの。お仕事を手伝わせていただけるかな?」

修道女は咲き終えた薔薇の実を摘んでいた。やわらかな白いヴェールが透け、薔薇の木の深い緑と、黄から真紅までとりどりの薔薇の実が映えて、花弁はほぼ死に絶えているのに花どきと同じほど美しく見えた。腰をかがめて作業している後ろ姿はゆったりとふくらんだ袖や裾とあいまって白パンのようにまあるく見えたが、不思議と田舎の婦人のようでなくしんとした清らかさがあった。きっと老女になっても同じようであろうと思われた。

と、ローレンツは彼女が少し動きの遅い方なのを知っていたので、そのように考えるあいだ一拍二拍待っていたのだが、振り向かれないまま六拍めほどを迎えた。

「メルセデスさん、お仕事を手伝うよ」

気まずいながらにローレンツがもう一度はっきりと声をかけると、今度は修道女は一拍だけで振り向いた。

「あら、あら~。ローレンツじゃない。驚いてしまったわ。もしかして、さっき私を呼んだの?」

メルセデスはしゃがんだまま前髪をはらいながら振り向いた。心から喜ばしげな柔和な笑顔に、細いうす亜麻色の髪が少し張り付いていた。涼しい秋の空気の中でも汗ばんでいる、働き者の園芸用手袋から枯れ藁の切れ端がひとすじその前髪に絡んだ。ローレンツはそれをつまみ取って髪を整えたいとも思ったが、紳士として適切なときと行動を見計らうことにして我慢した。

「久しぶりだね。もちろん君を呼んだんだが、無視されてしまったのかと思ったよ」

「無視なんて、しないわ。私じゃなく、行儀見習いで来ているもっと若い女の子がいるのかと思ったのよ。薔薇の、なんて柄ではないもの~」

確かにメルセデスはローレンツの好んで飾る紅薔薇のように生気とみずみずしさにあふれた女性ではなかった。美しい顔かたちに匂いやかに化粧をしているのに、たとえば、咲く薔薇ではなくて今ちょうど彼女が世話しているような、霜から守られるために足元を乾いた藁で温められ、亜麻をなった紐で固定された冬の薔薇の木のような。

 

冬薔薇の修道女は、その通り冬のために乾かされたものの扱いの達人でもあった。すなわち、大修道院で育てられている香草類への乾燥などの処理を担っていた。「香辛料や香草のことならメルセデスに相談するといい。菓子の専門家だから、もうアッシュと同じくらい詳しい」と恩師に言われてローレンツは彼女をたずねたのだった。

薔薇の実を摘み終えたメルセデスは、非力な腕でよいしょよいしょと麻袋を荷車に載せようとし、ローレンツは積極的に手伝った。

「ふう、これでいいな。メルセデスさん、もう仕事は終わったのかな」

「手伝ってくれてありがとうローレンツ。ええとね、この後は香草の畑に藁をしいて、それがひとつ終わったら、厨房の仕込みのお手伝いをしようと思っているの~」

荷車を別の修道士に渡し、優雅に話を切り出そうとしたローレンツはこれは待っていてもだめだとあわてた。そういえば、「メルセデスちゃんは放っとくと際限なく奉仕活動をしちゃうのよー! みんな気を付けてあげて」と、人にものを頼んでやまないあのヒルダさえ戦慄していたのだった。

「メルセデスさん、念のために聞くんだが、それはぜひに今日、君でなければできない仕事なのかな?」

「そうねえ~、まだ霜は降りないだろうから、藁は無理に今日でなくてもいいわ。厨房も、特別忙しいとは聞いていないし~。もしかして、ローレンツが私に何か頼んでくれるの?」

「そう、そうなんだ。頼まれてくれるかい」

ローレンツは何やら、考えていたよりずっとほっとした気持ちになった。香草について話を聞いて相談に乗ってほしいと伝えて、流れでメルセデスが香草茶をふるまってくれることになった。茶会のような席なら自分も安らげるが、メルセデスも少し休憩ができることだろう。

 

→次ページへ続く

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