「料理? 私が?」
檸檬水を飲みこんでからアクアは怪訝そうな声をあげた。主の動揺に、毛並を整えられていた天馬がかるく頚を振る。もう一口を飲んでグラスを乾すと妙な申し出をしてきた男に渡し返した。
「ジョーカーに?」
「はい。ぜひご教授願いたいのです」
アクアに頭を下げているのは執事であった。いつも彼が主に供する申し分のない料理の相伴にあずかり、ともにおいしく食べて大満足しているアクアは、何か事情があると思われるにしろいやな顔をする。マークスに軍議に参加しろと言われたときのような感覚だ。
「檸檬水ひとつをこんなにおいしく作る人に何を教えろというのよ。あなたは完璧よ」
「とんでもございません。せめてカムイ様のお好きな白夜料理や食材を教えていただけないでしょうか」
戦場でカムイをかばうときのような形相でジョーカーは食い下がった。アクアはおやっと思う。ジョーカーは白夜寄りの食材もうまく料理するし、なにしろカムイとなごやかに食べるせいもあってシラサギ城で一人で食事をとっていたときよりずっと美味なものだから、あまり白夜料理を食べていなくて不満という気がしていなかったのだった。
「白夜料理を作りたいの?」
「ええ、ぜひ。それに暗夜になくカムイ様が白夜で好んで召し上がっていた食材も。アクア様ならばご存知でしょうから」
ジョーカーは器用に盆の上で檸檬水のおかわりを注ぐ。アクアは鳥籠の中の大きな鳥のように、追加された水にはっしと手を伸ばす。もう三の月だ、温暖な透魔の王城では天気の良い日にはかるく汗ばむくらいの陽気である。
「ご存知の通り、私はカムイ様が旅立たれてからしばらくあの方のおそばに仕えることができませんでした」
目を伏せてつらそうに話しだしたジョーカーに、アクアはグラスに口をつけたままでそうねとうなずく。
「その間カムイ様は白夜の王城に住まわれたり、星界の城でそのときどきの食事当番の者の料理を食べたりしていたわけです。フェリシアはてんで役に立たないのですから、さまざまな新しい食の好みにも気付かれたことでしょう……」
そのカムイを見られなかったのが心から悔やまれる、というつらそうな顔を見て、アクアはジョーカーが泣きそうにリンカにつかみかかっていたときのことを思い出した。カムイ様が白夜で目を醒まされたときのおまえの鍋がうまかったとおっしゃったんだ、レシピを教えやがれ、というジョーカーと、レシピも何もあるか腹が減ってただけだろう、ただの鍋だあんなの、というリンカは最終的に目的を忘れて殴り合いの喧嘩になっていた。
「……要するにあなた、自分がいない間にカムイがおいしいって食べたものを、自分こそが作って食べさせたいわけね?」
ジョーカーは顔を伏せたまま白い顔を真っ赤にした。
「はい……恥ずかしながら、ご明察です……。特に今回は、何かこう……特別感のあるものをお出しするにはと思いまして」
「別に恥ずかしがらなくてもいいけど。あなたがいつもカムイを喜ばせたがってるのは知ってるわ。でもカムイに直接聞けばいいんじゃない?」
「カムイ様にそういったことをお聞きしても、『ジョーカーの料理は全部おいしくて大好きだ』と……おっしゃるので……」
「ああ、はいはい。わかったわ。水差しを持ったまま倒れないでちょうだい」
にやけながら脚が立たなくなっていきそうなジョーカーをアクアはがっしりと支える。
二の月のチョコレートの一件から、ジョーカーはこれまで以上にカムイの口にするものに関心を向けまくっていた。酒精の入ったものやその他心配なものをよけるのはもちろん、なんであれ自分の手をかけてから食べさせたいと思っていた。チーズがあれば炙り桃があれば剥いてひと口大に切り、干し肉があればやわらかく噛んで口移しにしたいくらいだったがそれはさすがに抑えた。
自分の手間と愛情のかかったもので愛する主の体のすべてを構成したい、他の誰の作った食事より自分の作ったものを愉しんでほしいという欲望が、やや常軌を逸していることは自分にもわかっていた。けれども、たとえば桃をたくさん剥いて食べさせてやったときなどは、主の精液がいつもより甘い香りがするのだ。それを思うと、自分が供するものが主の血肉になるというのが、たまらない。食事は性行為と同じように甘美な奉仕の儀式だった。
「カムイの好きな白夜のもの……カムイが来てからはシラサギ城で私もいっしょに食事をしていたから、そうね……あのときは……」
たまにカムイ抜きでアクアと話をするときの場となっている、ロウラン旧城の書庫の机で、茶菓子をつまみながらアクアは一年と少し前のことを思い返した。一年といっても、それはこの世界で流れた時間のこと、星界で戦支度をした時間を含めればもう少し長い時間をたぐることになるし、何よりあまりにもたくさんのことが起こった。
遠い昔のことのように思えるのも無理はないとジョーカーも思った。カムイがいない城砦での日々はまさに一日千秋だったし、再会してからも、自分と主の間にもとても大きなことが起こり、その前のことが本当に遠く感じる。
「……えび」
腕を組んで虚空を見上げ、アクアはぽつりとつぶやいた。
「エビ?」
「ええ、海老。ミコト女王は淡泊な海鮮が好きでね。よく食べていたのだけど、カムイも出るとうれしそうにしてたわ」
「海鮮ですか。それはどのような?」
「うーん、暗夜のロブスターに似ているけど、違うのよね……。なんていうか……はさみがなくて……、よりリョウマの鎧に似てる」
赤くてとげっぽいのだな、とジョーカーは理解した。
「では、調理方法も、ロブスターのような感じでよろしいのでしょうか」
「そうね。殻の中身を食べて、ゆでたり、蒸したり、焼いたり、刺身にもできる。ロブスターよりたぶんふわっとしていて柔らかいはずよ」
「……ふむ。ふふ、ありがとうございます。ではそれにいたします。お出しする際は、アクア様もお嫌いでないのならばぜひ」
調理法の算段ができたのかジョーカーは一礼した。うれしそうな笑顔を見て、アクアも笑う。
「私はいいのよ。いえ、ジョーカーの料理は楽しみだからちょっとはいただくけれど。……でもこの時期に特別な料理を作りたいって聞いてきたのは、二の月のお返しを考えてだったりはしない? 私の誕生日はもう祝ってもらったし。勘違いだったらごめんなさい」
「……アクア様は本当にお見通しなんですから……」
また頬と耳を赤くしてジョーカーは照れくさそうに空の食器を取ってもてあそぶ。アクアは笑いながらあきれたような息をついた。
「ジョーカーの考えがわかりやすすぎるだけよ」
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