【R-18】スープ・4月 人参と麦のポタージュ - 4/4

カムイが帰ってくると約束した日の朝、ジョーカーは夜明けとともに起き出して完璧に身支度をととのえ設備の全点検にまわった。

カムイの帰りは夕方の予定だったが、心が躍っていた。結局朝のうちにいつカムイが帰ってきてもいいように万全の状態にした城はまるで昨日とは別物のようで、起き出してきた階下の者たちはジョーカーの覚醒を知ってより活気づいて働きだす。

「なにかごちそうをするんですかー?」

ここのところ暖炉は使っていないはずなのになぜか顔をすすだらけにして、フェリシアは厨房に食事をとりに来た。ジョーカーは朝食もそこそこに鍋に湯を沸かしはじめているところだった。寄ってくるフェリシアの顔を押しのけるように雑巾で拭く。

「顔を洗え」

「えっ洗いました!」

「じゃあ鏡見ろ。あとこの雑巾がおまえのせいで使い物にならなくなったから洗え」

「わーっ」

雑巾についたすすの黒に驚き、ぴゅっと出ていったフェリシアはじきに顔をきれいにして、「よく絞った氷」と化した雑巾を持って戻ってきた。ジョーカーは凍った雑巾を火のそばで解凍しつつ、湧いた湯に小芋をいくつか投入する。今はきっと冷めてもいい野菜料理を作っているのだな、こんな昼間から夕食の準備を始めるとはものすごい気合いが入っているな、と思ってフェリシアはにこにこと一度厨房を去った。

昼過ぎ、休憩に、自分の生み出してしまった黒焦げのクッキーをつまみに厨房に戻ってきたフェリシアは首をかしげた。ジョーカーがだいたい同じ場所にいて、特に品数が出来上がっているようすもなかったからだ。

熱心にボウルと相対しているので何かと思ってのぞきこむと、そこにはなにやらクリーム状の、弾力の強そうなものが入っていた。マシュマロの塊がねっとりとへらにまとわりついているようで、少量とはいえ混ぜるのにはかなり力がいりそうだ。スズカゼがいっしょにつきましょうと言って一の月にこねた「モチ」というのに似ている。それをジョーカーは繰り返し混ぜてよりなめらかに整えていた。

「それなんですか?」

「芋。それにミルク」

「えっ、もしかしてさっきゆでてたのですか?」

言われてみれば弾力は小芋のそれだった。

「ほあああ~、すごいです、すごく細かいです。おろす途中でばきばきになったやつとか入ってないです」

「おまえのレベルと比べんな。おら、ニンジンはこれからなんだ。どいてろ」

ジョーカーは既に小芋に使って一度洗った白夜製の馬毛の裏ごし器をよく拭いてボウルに載せた。初めて出会う調理器具をまじまじと見ているフェリシアの前で、やわらかく茹でて荒いピュレ状にしてあったニンジンをのせ、へらで斜めに押しつぶす。フェリシアには何が起こっているのかいまいちわからなかったが、ジョーカーが丁寧に網目の面を圧すたび、のせたニンジンがどんどん減っていき、繊維質だけが残っていくのが見えた。

ニンジンがやっと半分になりジョーカーが一度裏ごし器をどかすと、白くもちもちとした小芋クリームを、なんともいえずつやつやと色鮮やかでなめらかなニンジン色が上から覆っていた。野菜だけでできているはずなのに、果実の菓子かと思うような色合いだった。

「き……きれいです……! でもすごい時間かかりますね……?」

「そうだな。あえて時間かけてるからな」

フェリシアが去ってからもジョーカーはしばらくニンジンを裏ごしし、特製のコンソメとハーブのブーケを合わせたスープベースに小芋とニンジンのクリームをよく溶いた。たっぷり時間をかけて料理を終えてもまだ夕陽の時間帯ではなかったので、転移の泉をおさめた神殿の前にじっと立ち、今か今かと主の帰りを待った。

 

カムイが目を醒ますと心地よいにおいがした。頭の周りがあたたかくて、とくとくと血の流れる震動があった。目を開けると、その拍動の主が誰だか認識する前に、しあわせ、と思う。

「……カムイ様」

覗きこんでくるほほえみと呼ぶ声からも、しあわせ、が流れ込んできて、カムイは噛みしめて膝枕に頬を擦りつける。

「お休みになっていた時間はほんの少しです。大丈夫ですよ」

もう大人だというのに、思いがけずうたた寝をしすぎた不安にぐずっていると思ったのか執事はやさしく髪をすいてくる。そうだ、うたた寝をしてしまったのだ。

カムイは夕時に帰ってくるとすぐそこで出迎えたジョーカーに抱きつき、ちゃんと帰ってきたよ、と言った。はじめて外できょうだいたちと過ごす春の祭りに喜び疲れたのか、居間の長椅子でジョーカーに土産話をする間に眠り込んでしまった。

「ごめんね。服も脱がないで」

「いいえ。ご公務もされたうえに、たくさん楽しまれたのでしょう。ずっと行きたがっていらっしゃいましたからね」

「うん」

カムイはふにゃりと笑った。ゆっくり起きあがり、ありがとう、と腕と腕をかるくぶつけて寄り添う。まだまだ疲れて眠たそうな様子だ。

「何か、召し上がれそうですか?」

「スープなら……」

「かしこまりました。少しお待ちくださいね」

カムイは、今思えば暗夜人ではないからか肉料理の重さにやや弱い。疲れて食欲をなくしたときや肉を多く食べたときなどは、質素なスープを欲しがるのだ。ジョーカーは人形を座らせるように両肩を支えて姿勢をまっすぐにしてやり、厨房へ向かった。

 

スープをあたためて戻ってくるとカムイはまた長椅子に仰向けに寝てしまっていた。

カムイ様、と声をかけると、半分は起きているようで、うん、と返事をして目を閉じたまま少し微笑む。

「いいにおいだ」

「スープをお持ちしましたよ」

「……ちょうだい」

ちょうだいと言っても動く様子のないカムイに、ジョーカーはスープを口に含み、少し熱さをならして口移しに飲ませてやった。舌にまといつき、擦り撫でるような粒子の細かさが、甘みをしみこませる。飲み下すと滋味が血に乗って流れて、代わりに疲れが排出されていくようだった。

カムイは目を開けた。

「ニンジンだ」

「正解です」

「ジョーカーのこのスープ、すごく好きだな」

もうこの年であれば当たり前だが、カムイはニンジンを食べられるようになっていた。しかしきっかけは昔ジョーカーのこしらえたニンジンのスープであった。

色鮮やかなスープを喜んだカムイは、ニンジンだと聞いてもきれいだし甘くておいしいねと笑った。味わいを覚えて、ただ茹でた付け合わせのニンジンも食べるようになった。そういう感覚をつかめたのかどんどん苦手な食べ物をなくしていき、白夜にいたときは昆虫を煮つけたものも気味悪がらず食べたという。

主の食べた、自分以外が作ったものに嫉妬する気持ちも確かにあるが、カムイがすこやかに食べて元気でいること自体が、ジョーカーにとっては自分がニンジンのスープにこめた祈りが叶ったようで嬉しいことだった。

「ん……ん」

また口移しされて、ぷよ、とした触感にカムイは顎を動かした。野菜の甘みとうまみの中にいくつかかたちのある具がある。舌で転がすとぷにぷにと弾力があり、噛みごたえはほんの少し。わずかにぷち、という感覚。舌と歯が気持ちよくカムイはうっとりとした。

「ジョーカー……、ジョーカーの乳首みたいなおいしいのが入ってるけど……」

「大麦ですよ」

顔を赤らめて苦笑して、ジョーカーはもうひとさじ口移しした。口を離すとカムイは目を閉じて、大麦をもてあそんでは噛んでいるようだった。とろみの中で転がされる大麦を主が「ジョーカーの乳首みたいな」と思っていると考えると、体が熱くなる。今度は具のない上澄みをすくって飲ませ、舌に絡めて口の中を愛撫する。

「ぁん……んん、ぅ……」

小芋のせいでいつものポタージュよりもとろみが強く、粘りけが途切れずに際限なく絡め合った。くちゅ、ぐち、といつものくちづけと少し違った音がする。もう一度口移ししてまた深くくちづけながら、手を伸ばして仰向けの股を包むようにそっと撫でてやる。すっかり大きく昂っていた。

「は……、ジョーカー……、ジョーカー、このスープ、気持ちいい……」

眠気と美味と快感にとろけた顔でカムイはせつなげに訴えた。手術台の上のように無防備に見上げてくる主が可愛くて、狙い通りの感想にジョーカーは満足した微笑みで答える。主はきっと口や舌の感覚が豊かで気持ちいいのだと思って工夫したのだ。

 

「お部屋に帰りましょうね」

なかば抱え上げるように抱き起こして肩を支え、主を寝室へ連れていく。燭台を持った手と反対側の腕にぴったりと抱きつかれて、途中何度か頬ずりをした。寝室の扉を閉めると立ったままでまたくちづけを望まれる。

「ん……カムイ様、お休みください……」

「ううん……。ジョーカーにも、何か」

カムイはどうしても眠そうで、本当はすぐに泥のように寝台に倒れたいのだろうに、眠る前に睦み合ってジョーカーに気持ちのよいことを返したい、とつとめているようだった。その気持ちだけで腰が抜けそうなほど嬉しく、ジョーカーは余裕のある態度に懸命に踏みとどまった。

「だめですよ。お疲れなのでしょう」

たどたどしく手を伸ばしてくるカムイを、ジョーカーは壁に腕をついて封じこめた。一瞬ぽかんと驚いて見上げてきた、ひらいた口に熱くかみつく。まだ、先ほどのスープで粘膜どうしが擦り合うねっとりとした感触が残っているようだった。

「ん……ぅ、」

「ふ……、……ん……」

「……んぁっ! ん、ん、」

カムイは驚いた声をあげた。ジョーカーの腿が脚の間に割り入ってきたのだ。太腿の筋肉でぐいぐいと、しかし丁寧に圧す刺激を加えられる。脚が立たなくなりそうだったが、ほとんど密着されて逆に床から浮き上がっている気もした。

「あ、あ……、ジョーカー……。ジョーカーかっこいい……」

「光栄です。カムイ様のジョーカーですよ」

甘く潤む紅い瞳と視線を合わせてもう一度くちづけて、脚の間の腿は支える程度にじわりと圧し続ける。舌先どうしを何度もやわらかく合わせ、マッサージするようにぬるぬると執拗に上あごを責める。

「んぅ、ふーっ、ふ、! んん、んんんあ……! ん……」

ぞく、ぞく、とした細かな震えが重なり、ついにくちづけをされるままに受けながらカムイはびくんと震えた。一拍遅れて、キスだけで、と驚いたように目が見開かれるのを見てジョーカーは満足する。疲れた体を煩わせず、主の性感帯をひとつ拓きそめたと。

 

今度は本当に体を抱え上げてカムイを寝台に運んだジョーカーは、主の服を寝間着に替えた。着ていたものをすべて脱がせ下腹の汚れをよく口で舐めとって掃除し、丁寧に残りを吸い出してから新しい下着を履かせる。申し訳なさそうだったカムイは、今はジョーカーの手にまかせ気持ちよさそうに呼吸を深くしはじめていた。ただ寝間着を着せつけ毛布をかけた手が離れていこうとすると、重い腕を動かして執事のいる方に伸ばした。

「おやすみなさいませ」

「……ジョーカー」

口を動かす息だけで、そう呼んでくれたように聞こえたのは都合のいい勘違いだっただろうか。ジョーカーは眠りの国へ旅立っていくカムイの愛らしい顔をずっと見て、長いことその手を握っていた。

いつか主がどこかに行って帰らなければ、自分はいったいどうなってしまうのだろうと昔怖れていた。主に拾われる前よりもよほどこの世を恨み憎み、狂い死んでしまうのではと。だから本当はあの旅立ちのときも、カムイを送り出したくはなかったのだ。

けれどなんとか、どういうわけか、ふたたび逢えて、心を交わし合うことができた。それをジョーカーはカムイに出会えたことと同じくそうそうあることではない、たったひとつの奇跡だと思っていたが、もうカムイと離れてしまうことをむやみに恐れなくていいような気がしていた。きっとカムイは自分のもとに帰ろうとするし、自分は自分で主を想い続けてなんとかすることができるだろう。嫌いなニンジンを好きになれたカムイのように、きっと自分たちはどこにいても、どうなってもまた会えると、体で覚えたような自信が今はあった。

「いつも、おそばにおります」

いつもいつも、遠く隔てられたときも。何を見ても。すべて、あなたへの奉仕に。

起こさぬよう唇だけで短くつぶやいてジョーカーは優しく手をほどいた。居間に残してきたスープの残りを味わって飲みほして、

「しかしやらしいモンを開発してしまった……」

と、ひとり赤面して皿を念入りに洗った。

 

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