「みんなで釣り、嬉しいなあ。僕は自然の魚の釣りをしたことなくて。サクラは? 鯉以外ならあるかい?」
「ふ……フナですとか、川のお魚なら……」
仕掛けを用意しながらカムイとサクラはなごやかに話した。カムイのほうが背が伸び身長差は開いたが、おっとりしたふたりが喋っていると、陽光のあたたかさがあたりに広がっていくようである。サクラはカムイの母ミコトに雰囲気が似てきたという。ジョーカーは主人の母堂を知らないが、きっとこの日向のような清いあたたかさの人だったのだろう、と思う。カザハナは前と変わらず、犬が主人といっしょにいる人間を警戒するような少し険のある目でカムイを見、ときたま口をとがらせたりしている。カムイはカザハナとはそういうものと思っているようで、対抗意識をあらわにされても目を合わせてにっこりしてみせる。
「カムイ様には負けないわ」
「カザハナもいろいろ教えてくれ」
「ぐぅ……」
鯉釣りの仕掛けはいくつもの針が連なった釣り糸の先を練り餌で包み、握りかため、先にひとつだけ長くつけた針に鯉を誘うためのミミズなどをつける。それを湖に投げ入れて鯉がかかるのを待つ、というのがだいたいのところなのだが、初めてのカムイはなかなかうまく餌を投げ入れられずにいた。カムイとアクアのための練り餌を調整しているジョーカーから少しだけ離れたところ、カムイが困ればすぐ手助けできるようにとジョーカーがさりげなく近づいたのだが、湖のほとりから何度か餌を投げては振り子のように戻している。
「んー、難しいんだね! 投げ方が弱いのかな?」
「ふふーん、あたしのほうがうまいよカムイ様! サクラ様見ててね!」
「は、はい! カザハナさんがんばってください」
「せいやーっ!」
カザハナの投げた餌は一瞬よい軌道で飛んだ。
かに見えたが、すぐに空中分解して餌のかけらがぼとぼとと水に落ちていってしまった。その後、ぽちゃ……と静かに釣り糸と針だけが水面に浮き、なんともいえない哀愁にぽかんとしたのち、カムイとサクラは同時に噴き出した。
「ぷっ、ははっ、はははは、」
「うふふ、ああっ、ごめ、ごめんなさい、ふふふふ」
「なっ、なっ、なにー! 水まで届いたんだからカムイ様には勝ってるよ! ちゃんと成功するよ!」
「……クッ」
「ジョーカー笑ったでしょ!」
「ふっ、せ、成功確率はどのくらいなんだおまえ? ちょっと最初のほうは見逃したが今の芸はまだまだ見られるんだろ?」
「はぁ? 芸じゃないし、いつもちゃんと釣れてるから! ……十回のうち一回くらい」
「カザハナさん、私にもやらせてください」
サクラは針を引いて回収すると、練り餌をにぎにぎと固めた。そして、こうでもいいんでしょうか、と言って下手投げにふんわりと投げる。小鳥のような白い手から放たれた針と練り餌のかたまりは、やわらかにぽとんと水に吸い込まれていった。
「で、できました……!」
「サクラ~~! 力加減が絶妙だよ!」
「サクラすごいね! 僕にも教えて」
「は、はい! 兄様、喜んで」
主の望みにすかさず応えて、カザハナは釣り竿を受け取り、ジョーカーは新しい練り餌の器をカムイに差し出した。練り餌を握り固めるカムイにサクラが寄り添う。
「兄様、もうすこし丸くきゅっと固めます。小さいおにぎりを握るみたいに……」
「おにぎりってあのお米を丸とか三角にしたやつだよね? 僕は作ったことないんだけど」
「あ、あの、こうです」
サクラは濡れ手拭いで手をふき、カムイの不器用な手と両手を重ねた。弓を扱うとはいえひとまわり小さい可憐な手で、きゅ、きゅ、と外側から力をかけられ、具のように針を包んで丸く固まった練り餌ができた。カムイははじめての動きに手が誘導された感覚にどきどきしたようだった。
「わあっ、針がはみ出ない。上手だねサクラ!」
「あ、ありがとうございます……! それで、えっと、いっしょに投げましょう」
今度はカムイの横から手を重ね、サクラは餌をいっしょに支え持った。それは手をつないでいるようでほほえましい図であった。せーの、と加減を導いて、ふわんと餌が水に届いていく。それをジョーカーは誰より先に喜ぶことができなかった。
「サクラ様、すごーい!」
「すごい、届いたよサクラ! ありがとう」
「い、いえ、投げたのは兄様です……」
「おめでとうございます、カムイ様」
サクラは顔を赤くしてぴゃっと自分の釣り竿に戻っていった。アクアはいつの間にか練り餌をいくらか持って少し離れた場所からすでに釣り糸を垂れている。リョウマは、近くでまだ釣り竿を置いたまま腕を組んでカムイと湖を眺めているようだった。しばらくしてジョーカーがカムイとアクアのためのもろもろを終えて自分の針と餌を用意し終わったころ、サクラの釣り竿にさっそく反応があった。
「ふわ……! ひ、引いてきました。きゃっ」
「サクラ様!」
皆がサクラの釣り竿に注目するよりも早かったのではないかという瞬発力で、カザハナは自分の竿とタモを片手に後ろからサクラに抱きつくようにしてともに引いた。ジョーカーの頭にはまず、うらやましい、というような感情がよぎった。
「おまっ……、カザハナ!」
「なにジョーカー? 競争? いいんだよあたしの力はサクラの力だもん!」
「なっ……そ……そんなこと、俺だってなあ!」
「あっ、なんか来たっ」
カムイの釣り糸がぴんと張り、竿がしなった。カザハナと同じで考える前に助けにいこうと動いた体を、カムイは発する覇気で止めた。犬が待てをくらったようにジョーカーは動きを止める。
「来るな、ジョーカー」
「カムイ様……!」
「助けてほしいときは、早めに言うから!」
「立派だぞ、カムイ」
シンと黙っていたリョウマが微笑んで父のようにカムイを見つめた。そうしてリョウマはわずかな距離をあけてカムイの背中につく。懸命に引くカムイに手を出すことはしない。ジョーカーは待てをされたまま、近付きたくても動くことができない。
「わっ、とと、」
持ち上げた鯉が跳ね均衡を崩したカムイは、タモですくおうとして尻餅をつきそうになった。それをリョウマはがっしりと抱きとった。その腕の、たくましく頼りがいのあること。
「あ、ありがとう兄さん……」
「いや。さあ口を持って、大きさを見てみろ。こうだ」
すぐにカムイをしゃんと立たせ、リョウマは鯉の吊り下げ方を教えた。すでに釣り上げられたサクラの鯉よりも小さかったが、よく肥えてまるまるとしていた。
「ジョーカー、釣れたよ! これを煮て!」
「お見事です……カムイ様」
嬉しそうに報告してくるカムイにジョーカーは人前というのに泣きそうになる。自分にこそ見せてくれる嬉しさと、寂しさと、自分の釣ったものを召し上がっていただきたかったのですという残念さもあった。なんとはなしに、嫉妬もあった。
リョウマがカムイごしにジョーカーを見ていた。ジョーカーは鯉をバケツに入れて、執事のすました笑顔に戻った。愛しい主の補佐に恥じぬよう、弟に仕えるのはこの男であると思われるにふさわしく、心を乱さずにいなければならない。これは、自分の勝負。
「では、私もまいりましょう」
ジョーカーは準備を整えながら既に湖の水の流れを観察してあった。鯉は遊泳の道が概ね決まっているという。先ほど、腕の長さはあろうかという鯉が跳ねた。それと思わしき大きな影が見え隠れする場所、その周りの倒木や流れの行き止まりから、ジョーカーはただの勘ではなく計算して場所をみつけていた。
「ふ……っ」
だてに投擲武器を扱っていない。サクラを見て学んだやわらかな投げ方でも、ジョーカーは正確に静かに狙った場所に釣り針を投げこんだ。カザハナは眉を上げる。妙に端の方に入ったように見えたからだ。
「ジョーカー、投げるの弱くしすぎじゃない?」
「フン。見てろ。たぶん今あのへんだ……」
「はあ?」
しばらくののち、本当に狙ったものであろう大物がジョーカーの針にかかった。
「……ふっ……、く……! こン、の……!」
「ジョーカー! す、すごいしなってるけど竿。手伝おうか?」
「結構、です! ありがとうございます!」
アクアも手こずることがあると聞いていたから覚悟はしていたが、すごい重さと抵抗だ。しかし、俺の愛に勝てると思うな!などと内心で叫びながらなんとか引き上げる。一応隣でタモだけは持っていてくれたカムイから受け取って、深皿にあふれる料理のように載せた。
「みごとな真鯉だな。さすがはジョーカーだ」
リョウマはまさにこれでこそ来た甲斐があった、というふうに満足げに微笑んだ。肩で息をしながら光栄です、と答え、ジョーカーは少し得意になる。
「鯉の動きを見ていたのだろう。辛抱強いことだ。それは戦場でもまつりごとの局面でも必要になる。これからもカムイをよく支えてやってくれ」
リョウマの声は深く、言葉は硬いが雰囲気は情があり公平で、カムイに似ていた。おそらくそれが王者の声なのだとジョーカーは思う。そう言われるようにせねばと考えていた言葉をかけられているのに、ジョーカーの胸はそれ以上すくことはなかった。
「あたしたちのが大きいよ! ほらっほら」
カザハナは対抗して先程の鯉を比べて見せてきたが、伸ばすようにしても全然届いていなかった。しかし鯉の大きさの問題ではないのだ。それがわかったのでジョーカーはなお鼻で笑ってやった。
「ふん、俺のカムイ様への思いのほうが大きい」
「あたしがサクラを好きな気持ちのほうが大きい!」
「か、カザハナさん、けんかはしないでください」
「くやしかったら釣ってみせろ。まあイノシシには魚釣りは無理だろうけどな……」
「言ったねー!」
ジョーカーがカザハナにかみつかれているあいだに、カムイはリョウマと楽しげに話しだしていた。ジョーカーが鯉の動きを見ていたとはどういうことかなどを聞いているのだろう。リョウマは鷹揚に話し、うなずき、カムイの頭を少しだけ撫でた。先程は手助けを止められたが、それ以外でも自分は生活の世話や房事以外ではカムイに触れないようにしているのに、と、少しちくりとする。カムイはとても嬉しそうににこにことした。白夜の奥ゆかしさなのだろうか、べたべたしない、ふわり、からりとした短い触れ方だった。サクラも、カザハナも。
自分はまとわりつくようにうざったく思われていないだろうか、と、ジョーカーは楽しげなカムイから視線をはずした。
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