ポンコツたちのあさごはん - 2/2

「カムイ様! ご無事ですか?」

「来るな!」

買い出しから戻ると異様な匂いが部屋から漂っていた。鍵音を響かせ、ジョーカーは投げるように買い物袋を廊下に置いて命令に反し扉を開けた。何が起こっているのかはまあこの時点でだいたいわかったのだが、背中に隠しているのをのぞき込むと、流しとフライパンの中はなんか全体的に黒かった。

「カムイ様、換気扇は? 消火器は使いましたか?」

「火は出て……ない……! たぶん、卵とかが炭になっただけで……」

「卵? 卵で何か作ろうとなさっていたのですか? おやつに何かいるか聞いたときなぜ仰らなかったのです」

カムイは答えずに顔を背けて換気扇をつけた。フライパンに蛇口からぽたりと落ちた水がじゅわーと蒸発していった。

 

 

「ごめん、ジョーカーのキッチンなのに」

「いいのです。ご無事ならそれで」

しゅんとしきって心底謝る主を見て場違いにぞくぞくとした喜びが走った。炭化したものとフライパンなどをきれいにしたことでまともに調理台のようすが見えてきて、その、まだ中身がいろいろな意味で終わっていないボウルの中に卵液的なものを見つけた。

「カムイ様」

「あ、あ、だめジョーカー」

「こちらを、おやつにすればよろしいのですね?」

ジョーカーは泡立て器に手をのばし、濡れて光る先端に唇を寄せた。カムイは半泣きでジョーカー危ないから、いいから、とか謎の発言をして制止する。これをおやつにと言っておいて、ジョーカーは初めて口にする主が作ったものらしい料理(?)のけっこうな塩気を夢中で味わってしまった。あとなんか卵の味と違う妙な苦みも感じた気がした。

「ジョーカー」

間違いなくおいしくはない液体を、酔ったようにもうひとすくい舐めようとしていたのをぺいっと奪い取られた。カムイの震える手はそれを流しに捨ててしまうか否か迷っている。視線の先にある食パンの袋を見て、ジョーカーはやっとカムイが作りたかったものを察した。

「ジョーカーの……フレンチトーストが、作りたいと思って……」

顔を赤くしていたたまれないように目を伏せるカムイを見て、ジョーカーは感動して泡立て器を取り落とした。

 

「まず卵を割ります。先程はこれはできましたね。さすがはカムイ様です」

「あの、ジョーカー。入っちゃった殻出したらずいぶん少なくなったし、そんなに卵追加して塩を薄めるくらいだったら僕のは捨てたほうがよかったんじゃ……」

「いいえ、カムイ様が初めてなさったお料理です。捨てるなどとんでもないことです」

「でも、これ何個目の卵だ? どれだけできるんだ? 僕たち食べられなくない?」

「いいのです、パンは買ってきましたし。カムイ様の料理なら皆喜んで食べるでしょう」

ジョーカーは買ってきたばかりの卵のパックをばりばりと開けた。カムイは洗った泡立て器を持ってただ卵を割る鮮やかなジョーカーの手つきを見ているばかりだ。

「そろそろ大丈夫でしょう。砂糖は……ひかえめにしてジャムをつけるほうがお好きでしたね? 卵三個に大さじ二弱というところでしょうか」

「ひかえめ……そのくらいがひかえめなのか」

カムイは砂糖をすくうジョーカーの手元をじっと見た。ジョーカーは自分が味の加減のわからなかったころのことを思い出した。カムイに料理を食べさせたいと思うまでは、何を食べても大して変わらないと思っていたから、料理の訓練も失敗続きだったものだ。それから食事ごとに何がどう調理されているのか考えだし、調味料の目算がつくようになっていった。

ジョーカーはフレンチトーストにいつも塩をひとつまみ入れる。あまりに破壊的な量ではあったが、カムイが卵液に塩を入れようと思ったのは、それを昔の自分よりよほどしっかりと味わってくれているからなのではないかと、ジョーカーはひそかに感動した。

「さあ、かき混ぜてみましょうね。最初はそっと」

調理台の壁に卵を投げつけたような汚れがあったので注意深く泡立て器を入れさせた。そうっと泡立て器を動かすカムイの手の動きにあわせて新鮮な黄身がふるふると回る。

「失礼します」

力加減がわからないらしいカムイの後ろにまわって、手を重ねてボウルをしっかりと支えさせた。泡立て器を持つ手に触れて持ち方を整え、こうです、と斜めに入れて動かす。

「わっ、あっ。すごい、混ざる」

「黄身はつぶれますが、問題は白身です。境目や、ほら、つながっているようなところがあるでしょう?」

「うん……!」

「これを、切るように斜めに混ぜます。回すのではなく……」

密着して手をとっている体から、どきどきと大きな鼓動が響いてきてジョーカーは教えながら主が愛しくてたまらなくなった。背後から耳にキスでもしたくなる。

「よく混ざりましたね。この程度で結構です」

「それで、パンがこれに浸っていて、焼いてあるんだよね?」

「ええ。パンは今仕入れてきたバゲットを私が切りますのでお待ちを……」

「切らせてほしい」

ジョーカーは危険です、と過保護に少し渋い顔をしてからパン切りナイフを取り出した。そんなものがあったか! とカムイは目を光らせる。

「それはパン用のナイフなのか? 道理で、ふつうので切ってもぐちゃって潰れてしまって」

「パンを切るのは難しいですね。これも使い方があります。少し離れてご覧ください」

もちろんジョーカーも潰れた断面の輪切りとパンくずの山をどれだけ生み出したかわからない。自分が使えなかったころのことなど、改善された今と比べるためにしか思い出したくないものだが、カムイが同じ失敗をしていると思うと悪くない記憶のように思われた。

ジョーカーはコンロの火の上にナイフの刃をかざした。

「えっ」

「まずはナイフを軽くあぶります。やりすぎると焦げますが」

「そうするとよく切れる?」

「これで断面が刃にくっついてきづらくなります。冷えたらまたあぶります。……そして、切り方ですね。見ていてください」

ナイフをパンの上に載せたジョーカーはほんの少し前に押し出し、ぎざぎざとした刃で溝を作った。長い刃の根元をそこにあてがい、手前へ引ききると、バゲットはパンくずも出すことなく斜め切りになった。

「ええっ……不思議だ……! ジョーカーはやっぱりすごい……!」

「あ、ありがとうございます……」

賞賛にくらくらと照れながら、カムイが心底不思議な魔法を見るようなものだから、心の中で昔の自分もなんだこいつすごいなと不思議がっている感じがした。カムイにナイフを注意深く手渡し、先程と同じように後から手をとって切らせると、歓声があがった。

「ジョーカー、僕だけでもやらせて」

「駄目です。危ないですから」

「お願い。できるようになりたいんだ」

危ないし、もっとくっついていたかったのだが、しぶしぶジョーカーは離れた。ジョーカーが力加減をしなければやはりうまくは切れない、それでもカムイは一生懸命だった。そのきらきらとした目にみとれながら、どうしてだろう、やはり独り立ちをしたいとおっしゃっていることの一環だろうか、とジョーカーは寂しくなる。ジョーカーがこんなふうに頑張っていたときには、カムイに料理をしてあげたい、カムイの優秀な使用人になりたい、という目的だけがあった。

「切れ……た! なんかぼろぼろになってごめん!」

「いいえ、とてもお上手ですよ……!」

ボードの上はやはりパンくずだらけになっていたが、とにかく切れたパンにジョーカーは心から拍手した。近所のベーカリーのいたって普通のバゲットが、何か聖別されたもののように輝いて見えた。

それから耐熱ガラスの容器にパンと卵液を満たした。カムイはフライ返しでパンをつつく。

「スポンジみたいに、押して離したらすぐに液を吸うんじゃないんだな……。いつもジョーカーの作ってくれるのはプリンみたいにぽよぽよなのに」

「つぶして吸わせないほうがいいですよ。よく吸わせるには一晩漬け込みます。ですが、……そうですね、今食べるぶんでしたら」

ジョーカーは残りのパンと卵液を比較的小さめの容器に入れ、ラップを軽くかけて電子レンジにかけた。

「こうするとすぐです」

「電子レンジは時間を操るのか!」

「いえそういうわけでは……。あたたかいほうが浸透するのですよ」

すぐに温め完了を知らせてくるレンジから容器を取り出してパンを裏返し、また同じように温める。ものの一分ほどで、パンは卵液をたっぷり吸ってじゅわっぽよっとした。

「ジョーカー、どうやってこんなことがわかったんだ? それとも僕が知らないだけでけっこうみんな知ってるのか」

「いえ、勉強したのです。すべてはカムイ様においしいものを食べていただきたいからです」

自然と笑顔がこぼれた。まあ、これもいろいろ失敗したものだった。加減を間違えてレンジの中でゆるいパンプディングが出来上がってしまったこともある。確かキッチンにジョーカーを探しに来たカムイに一度見られてしまったこともあったはずだ。そのときは失敗ですと恥じ入ってもカムイは「でもおいしそうなにおいだよ」とのんびりとした様子で、小麦粉を混ぜ焼いてオムレツ状にしたものをうまそうに食べてくれたのだ。

それからフライパンにバターをひいて焼き、火加減の調節のしかたを教えた。以前紅茶の淹れ方を教えたときには、そういえば湯を沸かす火はケトルをはみださない程度のやや強火と言ったのだ。案の定カムイは強火ですべてなんとかなると思っていたようだった。

「強火では、表面だけが強く焼けます。野菜をしんなりさせないためには良いですが、カムイ様は基本的に湯沸かし以外で強火は使われないほうがよいでしょう」

「……ま、まだ焦げてない? 怖いな……」

「心配ならフライ返しを下にもぐりこませてみてください。かりっとした感触があれば裏返してみましょう」

フライパンの上でパンをひっくり返すのにも悪戦苦闘して、なんとか軽くふた皿ぶんのフレンチトーストができあがった。二人暮らしとはいえ、いつもはジョーカーは菓子くらいならばカムイに出すために作った味見ですませてしまうことが多い。しかしふたりで作った今はそういうわけにもいかず、気恥ずかしいながら主と同じ量を分け合うことになった。

カムイはマーマレードをのせにこにこと食べた。

「ジョーカーのフレンチトーストはおいしいなあ」

「おいしいですね。カムイ様が作ったのですよ。……でも、どうしてですか? もしかしてまた、独り立ちのことを考えていらっしゃるのですか……?」

沈んだ声を出すジョーカーにカムイはあわてた。

「ジョーカーと離れようなんて思わないよ」

「ではどうして。いつでも好きなものをお作りしますし、味にご要望があるなら完璧にお好みに合わせてみせます。お手を煩わせることはありません。どれだけ心配したか……」

さすがにジョーカーが帰ってきたときの惨状(さんじょう)は悪かったと反省して、カムイはもぐもぐしながら小さくなった。

「ごめん……。……フレンチトーストを、作りたかったのは、ジョーカーが初めて作ってくれた料理だからだ」

「えっ」

予想外に自分の話が出てきてジョーカーは驚いた。確かにそれは事実だった。しかしそんな、訓練のために作っていた料理ともいえない料理のことなど、カムイは何とも覚えていないと思っていた。

「誰も入ってこないように鍵をかけてさ、こうやって机で、並んで食べた……」

ジョーカーはもちろんよく覚えていた。気まぐれだと思っていたが、カムイはジョーカーの作ったフレンチトーストを食べたがり、普段きょうだいたちのようには近くに並んで食事をとることを許されないジョーカーといっしょに食べようとした。だめです、と言うと、キッチンの扉の内鍵をかけて、だれにも怒られないよ、と言ってねだられたのだ。そうして何度か主といっしょに食べた試作の菓子のことを、ジョーカーは落ち着かなくも甘い思い出として大事にしていた。取るに足らぬことで、自分だけが覚えていると思っていたのに。

「ジョーカー」

「は、はい」

カムイは最後の一口をたいらげ、机の上でジョーカーの手に手を重ねた。

「好きだよ……」

それからはもう強く手を握り返して、夕食も忘れて夢中になった。灯りもつけず薄暗くなってしまった部屋の中で熱烈に絡み合いながら、でもまだ俺のいないところでは料理しないでください、とジョーカーは言った。

「絶対です。今日みたいなことはやめてください。俺がおそばにいないあいだにカムイ様に何かあったら、おれ、」

「うん。約束する。ジョーカーにいつでも助けてって言うから。……ジョーカーは、危ないことを、僕のためにたくさん練習してくれたんだな。僕のことが好きなんだね」

「好きです……大好きなんです……! ずっと……!」

「僕もだ」

もう誰もとがめるものはいなかった。何度もとろとろに甘く抱き合い包み合って、ふたりは手をつないで眠った。

 

 

「ジョーカー、助けて!」

「はいっ!」

主の声にジョーカーの体はほとんど頭が回るより早く飛び起きた。裸のまま駆けていこうとしたがカムイはなぜかベッドの前におり、ふたりして驚いた。なんだかいいにおいがする。バターの香りだろうか。

「わっ」

「あっ、ご、ごめんなさい! どうなさいました? お怪我はありませんか?」

「へ? 怪我?」

「ああ、よかった……、では火が出たのですか? 大丈夫です、消火器が」

「ま、待って。どうしたんだ? 火事の夢を見たのか?」

カムイはベッドサイドの抽斗にフライ返しを置いてジョーカーをきゅっと抱きしめた。……フライ返し? そうだ。昨日はフレンチトーストの焼き方を教えたのだ。それで、いつでも助けてと言うと。

「落ち着いた? おはようジョーカー」

ジョーカーの乱れた鼓動が静かになってきたので、カムイは少し体を離して頬にキスをした。オレンジの香り。マーマレードだ。

「……おはようございます。あの……、カムイ様、今、助けてと言いませんでしたか……?」

「え? 言ってない。たぶん起きてって言ったと思うんだけど」

もうちょっと優しく起こせばよかったね、うれしくて、と照れるカムイの前でジョーカーも勘違いに赤面した。起き抜けにはいつものことだが、頭が重くて回らない。時計を見ると寝坊をしたというほどではなかったが、なぜ主は先に起きているのだろう?

差し出された部屋着をぼんやりとしながらありがたく着るジョーカーの動きを、カムイはにこにこと見ている。何か用事で早く起きたのではなさそうな様子だ。

「見て。ちゃんとできた……と思う!」

手をひかれてダイニングのテーブルの上を見て、やっとジョーカーは覚醒した。

ほかほかと、あたたかな卵と乳と砂糖のにおいをたちのぼらせる二枚の皿。そこに混じる茶葉の香りは紅茶のサーヴポットからだ。そしてジャムの瓶がいくつか。

「カムイ様……!」

そこには、フレンチトースト一品だけだが、確かに朝食のテーブルがあった。早く起き出して、昨日漬け置いたパンを焼いて、主がこれを用意したのだ。一人で!

「申し訳……ありません、カムイ様に朝食を作らせるなど」

「そうじゃなくて」

「あ……。すばらしいです……! とても、嬉しいです」

謝るのではなく褒め、おずおずと気持ちを伝えると、カムイは満足げに笑った。

 

ふたりして席につき、向かい合って朝食を食べる。表面はかなり焦げていたが中は生焼けではなかった。強火は使わないようにという昨日のアドバイスを守ったのだろう。どちらかというと気が短いジョーカーとは違って、カムイは紅茶も渋みを出してしまいがちだし、つい待ちすぎるのだ。そんなところも愛しく、焦げたパンとも思えず、ジョーカーは一口一口よく味わって食べた。

「どうしてフレンチトーストが作れるようになりたかったかって言うと」

食べながら、秘密の打ち明け話をするときの少し恥ずかしそうな様子でカムイは話した。

「こうやって、ジョーカーが寝てる間に朝ごはんを作ってあげたかったんだ。ジョーカーは朝がすごく弱いのにいつも僕より早く起きて準備して、それから僕を起こしてくれるだろう」

「当たり前のことです。そうでなければお仕えしている意味がありません」

「そうかな。僕はジョーカーがぜんぜん朝起きられなくても手放したりしないよ。僕のせいでもあるんだしね」

「カムイ様のせいではありません。よくしていただいて幸せなばかりです」

自分をふがいなく思ってへそを曲げたような、しかし涼しいジョーカーの返しにカムイはどきりとして目を細める。

「だから、たまにはお休みの朝があってもいいだろ。いっしょに過ごしてたくさん疲れたジョーカーが寝てるのが好きなんだ。おまえの朝の気持ちが知りたかった。

僕の作ったものを食べて今日のカロリーにするジョーカーは、なんかすごく幸せだ。僕のジョーカーって感じがする。ちょっと、ぞくぞくするな。これはジョーカーの体になるんだ」

聞いてジョーカーはなぜかうつむき、耳まで赤くなってしまった。何に赤面しているのかわからず、カムイはつつくかわりに新しいジャムをのせた一切れをさし出した。

「どうしたんだ? カシスジャムおいしいよ」

「……私の愉しみがカムイ様にばれてしまいました……」

つぶやいてジョーカーはさし出された一切れを、目を閉じて食べた。まるで指を愛撫するように。挑発されてカムイは少し頬を血色よくしながらも、得意な顔をした。

「ジョーカーが思うより、僕は案外いろいろ知ってるんだから」

「いえいえ、これしき。私のあなたへの想いときたら途方もありません」

「そうか。じゃあこれからはいつも、これ以上にジョーカーはえっちで素敵な気分なんだと思いながらおまえの作ったものを食べるよ」

ジョーカーはくすりと笑って口元を隠して、その手でそっと主の口の端についたジャムをぬぐって舐めた。ああ、まったく途方もないのだ。たまににしてもらわなければ、こんなことでは太ってしまう。皿はいつの間にかすっかり空になってしまって、ためらわずねだった。

「もっともっと、もう一日中これがいいです。カムイ様。他の誰にも渡しません」

 

 

なんでもない晴れの朝には少し失敗した甘い香りがする。情けなく焦げついて、あるいは幸せにとろけるように。

家事能力に欠ける主とまだ駄目駄目だったころの使用人が、互いにいとおしむいまいちなフレンチトーストの味を、他に知る者はついになかった。

 

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