【R-18】デセール・12月 りんごと梨のケーキ - 4/5

――ピエリに指摘されて気付いたことは、おそらく正しい。

ピエリはマークスに騎士として仕え、王妃として、家族として並んで生きている。家族とは私的な営みで、同時に暗い海を渡る船のごとき公的な枠組みでもある。執事や生涯をその一族に仕える上級使用人もまた王侯貴族の家族の一部だが、ジョーカーは自分と主との関係を船として冷静に扱えるようには思えなかった。

この人をお守りする、とひたすらに憧れて目指していたほんの子供のころのほうが、あるいは自分はプロに近かったのかもしれない。今の自分はあまりにも主を愛しすぎる。執事として、ということより、ずっと大事な自分の価値基準がある。今までは偶然に主と利害が一致してきただけだ。仕事なのだから、偶然では困るのだ。それでは、気の合う子供どうしが遊んでいるのと変わらない。

主のために、なんだってできるようになったけれども、そこが変わらずに来てしまったのかもしれない。主は一人立ちをしたい、大人になりたいというようなことを言った。主とともに生きるために大人になろうと、していなかったのは、自分のほうだったのだ。王の執事には不足だと思われても仕方がない。

考えても今の公私混同をやめるということはどういうことかついにわからなかった。根本的には駄目な使用人である自分には、わからないことなのかもしれない。それはどうしようもない。

できることをしよう、と思った。

 

翌日からジョーカーは通常のカムイの身の回りのことの手配に加えて、帳簿や日々の王城の運営に関する雑務を整理し直しはじめた。引き継ぎに備えるためだ。

主が人事を決めるなら、否定することはできない。職を失うかもしれぬことは別にかまわない。今と同じにそばにいられなくなっても、主の愛しい生は続いていく。憎まれているのではないのだ、他に主のためにできることもいくらでもあるだろう。

もう、ここでしか生きられないからと情けをかけられて主のそばにいるのではない。家族にいてほしいと定義されなかった自分だが、この人のために生きると自分で決めたのだ。

俺はあの方に光と運命を分けてもらった。あの方に決めた。

これが俺が生きているということだ。

「ジョーカー、りんごが生ったんだって! これでお菓子を作ってくれないか」

呼び鈴で呼び出されるとカムイは再建された果樹園からはじめて献上されたりんごをひとつ両手で持ちあげて、自分の瞳と同じ紅い艶を見比べていた。明るく幸せの色をした笑顔だ。ジョーカーは見惚れ、目を細めて浸る。

「……? ジョーカー、どうしたの?」

「は、いえ。カムイ様のお顔がまぶしくて……。かしこまりました。ではまずコンポートにいたしますね。お預かりします」

カムイの手と木箱のりんごを預かり、ジョーカーは退出して厨房へ向かった。持って歩いている間もりんごの香はさわやかに甘い。よく熟れているようだ。せっかくの熟した新鮮な果実、ゆっくり香りを楽しんでいないで手早く、しかし丁寧に仕上げなければ。

まずは皮の汚れをよく洗い、螺旋にするするとむいた真っ赤な皮を一個分薄い塩水にとった。今日しか味わえない新鮮なアップルティーをカムイに出すためだ。皮と紅茶をいっしょに煮出すための水を火にかける。

りんごをカムイ好みの角切りにし、黄金色のひとかけの味をみてみる。享楽的な甘さではなく、酸味の強い味がした。その味に合わせて、砂糖、蜂蜜、香りのよい白ワインを見繕う。

甘くて美味と感じるジャムやコンポートを作るには、調整しながら何度も砂糖を入れる。鍋に入れたりんごに白ワインをふりかけ、ふつふつと煮立てたら、まず第一陣を振って混ぜる。まるで酸っぱい。第二陣を多めに入れる、まだやや酸っぱい。最後にほんの少し振って味をなじませると、煮る前とは別物のように香りと酸味と甘みがぴったりと組み合わさった。見目もみずみずしくふっくらと透けて、焦げ付いたところもなく、まるで最初からそういう天上の食べ物としてもたらされたようだった。

「よし、完成だ」

鍋を火からおろして冷ますまで、隣の鍋で湯を沸かしてアップルティーを煮出す程度の時間で済んだ。昔は皮はうまくむけないわ、切るのは遅い、味の調整には無数に戸惑う、その間にりんごは焦げる、と、大変な仕事だったものだ。もちろんりんごのコンポートだけではない。従僕や執事の仕事は全体が厨房の仕事と少し似ていて、細かく雑多な過程の時間刻みでの同時進行だ。隣の鍋の仕上がりに合わせてこちらの鍋を整えるように、主の生活に合わせ、また予定を知らせて導き、導かれる。

最初は途方もない、人間にはできない離れ業のようにさえ思われたが、今はジョーカーはそれがとても好きだった。好きなのだな、と、サーヴポットにアップルティーを移し、カムイが香りを嗅いで微笑み合うまでのお互いの動きを予測して、微笑んだ。

 

 

「ジョーカー、いるか? 入ってもいい?」

突っ伏して寝入っていたジョーカーはあわてて周りの状況を確認した。夜。夕食はもう済んだ。

「は、少々、お待ちください。申し訳ありません」

「うん」

夕食を下げたあと部屋で書き物をしている途中で寝こけてしまっていたらしい。ベッドにつく前に訪ねてきてくれたくらいの時間なのだろう。カムイのためのスツールを用意し、乱れた髪をいっそほどいて手櫛で背中に流す。

「お待たせいたしました。寒かったでしょう。どうぞ中へ」

ドアを開けるとカムイはとても嬉しそうな顔をした。添い寝をするとき以外で下ろした髪が珍しいのかもしれない。カムイは手に何か金属音のするものを持っていた。

「遅い時間にすまない。もう寝ていた?」

「いえ、うたた寝です。失礼しました。訪ねてくださって嬉しいです。何かお話ですか? 眠れないのですか」

「あ、遅くなってしまったのには、そういう理由はなくて……。ジョーカー、疲れてるみたいだったから、これ……」

手に持っているものをランプの光のもとに出すと、皮をむかれ、一口大に切ったりんごとフォークが二つだった。

「いっしょに食べよう」

「ああ……、もったいないお気遣いありがとうございます。いただきますね」

カムイははい、とフォークを一本手渡してきた。素直に受け取り、主にならってしょりしょりと食べた。

「おいしいね。でもちょっとすっぱいな」

「はい。たぶんこれは調理用の品種ですから」

「あっ、そうだったのか。今日は厨房に人がいたから、ちゃんと食べてもいいかは聞いたけどそれは聞くのを忘れてたな……」

ランプの灯りに照らされて見えにくいが、りんごの黄色い身部分にはちまちまと皮が残っていた。それから見てとれる刃の進んだ跡からして、果物ナイフに慣れないおっとりとした者が四苦八苦したことがわかった。フェリシアや、他の家事使用人の手によるものではない。

「……カムイ様がむいてくださったのですよね? 幸せですが、お手をわずらわせて申し訳ありません」

「やっぱり僕だってわかるよね。ジョーカーの子供のころと同じくらいみたい」

「私は、もっとひどかったですよ。十分にお上手です」

 

昔、二人でこうして夜に生のりんごを食べたことがあった。ジョーカーが北の城砦に来てはじめての年の末に、相部屋の使用人が帰省の暇をとっていたときのことだ。

「ジョーカー、このあいだりんごをよろこんでくれたよね。りんごが好き? ぼくも好き! ないしょでいっしょに食べよう」

ひとつのりんごを両手で大事そうに持ってきた主はご機嫌に頬を赤くして、他に座るところがないので寝台に並んで腰かけた。部屋にいい香りがふんわりと広がった。主が自分の好きなものに興味を持って、反応を気にかけてくれて、しかもそれを無邪気に差し出してくれていることはあふれるほどに嬉しかったが、差し出されたりんごをうまそうに食べてしまったときの恥ずかしさや罪の意識がよみがえった。こんなにいい香りがしていては、部屋に残るかもしれない。帰ってきた相部屋の者に、おまえだけ果物なんか食べたのかと言われるかもしれない。そう思いながらも、皮をむこうとして奮闘した。最初は柑橘のように皮が裂けるのかと思って手でなんとかしようとしたが、爪で皮を少し削れただけだったので、ジョーカーは小刀を探した。

「うれしいです。でも、おれは……そんなの、食べていいんでしょうか」

「だいじょうぶだよ。まだいっぱいあったもの」

「えっ、倉庫に入ったのですか? そこから」

誰かに取ってこさせたのではなく、カムイは一人で倉庫に入り、手ずからひとつの実を選んできたらしかった。状況を理解して、つい口をついて出てしまった。

「盗んできたんですか?」

カムイはしばし意味がわからないようすでぽかんとした。そして手の中のりんごを見て、盗む、という言葉と自分の行動がつながったらしく、目に見えて青ざめた。

「ぼ、ぼく……どうしよう……」

カムイは市場や商人の取引きを見たこともなかったし、ものが足りなくなったり奪い合われたりすることも知らなかった。盗む、ということが罪なことや、対価を払わずにものを手に入れることだという意味は教えられたことがあっても、それが自分と結びつくことがあるとはつゆとも思わない無垢な子供だった。

それにしても実際は、城の主であるカムイが城の中のものを、ましてや食材ひとつなど、いつどのようにしようとも盗みにあたるはずがなかった。ジョーカーは失言を慌て、必死でカムイを落ち着けようとした。

「カムイさま、大丈夫です。盗んだなんてうそです。言葉をまちがえました。この城はカムイさまのための場所なんです。この城にあるものは、ぜんぶカムイさまのものなんですから。何も悪いことなんてありません」

「でも……でも……、ギュンターについてきてもらって、食べていい?って、言ったらよかったのに。ぼく、ひとりできれいなのをえらんで、ジョーカーのところに行きたくて。

ぼ、く、わるい子になっちゃったのかな? かみさまにきらわれちゃう……」

ジョーカーはカムイのぽろぽろとこぼれる涙に胸をつかれた。実のところ、配給される量では足りず黒パンを盗んだり固まった砂糖をくすねたりなど階下では日常茶飯事だったので、食べざかりにさしかかってきたジョーカーだってやっていたのだ。カムイは食べるに困らないからそんなことを言えるのだけれども、その懺悔の涙は清く美しかった。

「泣かないでください、カムイさま。大丈夫です。もし神さまにきらわれても、おれが守りますから」

りんごごと泣いている主を抱きしめた。涙がシャツにしみて、あたたかいと思った。

「わるいのは、ぼくだもの。ジョーカーはちがうよ」

「いいえ。カムイさまの罪はおれの罪です。カムイさまがばつを受けるなら、おれも、おれが受けます。いっしょです。だからこわくありませんよ」

「ほん、とう?」

「本当です。大丈夫ですよ」

本心だったけれど、馬鹿なことを言ってしまったかとも思った。神様から嫌われているのはどう考えても自分の方だし、主にはまだなんの罪もない。こんな不利な約束で励まそうなど、馬鹿にしているのではないだろうかと。しかし、約束の内容が吟味できない子供だからなのか、なんなのか、カムイはひどく安心して涙をぬぐって、笑ってくれた。

「なら、へいき……」

それから主は真面目にりんごをどうすべきか聞いてきた。カムイ様の気持ちとしては盗んだみたいに思うかもしれませんが、カムイ様は城の中の物なら自由にして後で知らせればいいし、もう傷つけてしまったから戻すほうが悪いですよ、と教えると、そこでやっと理屈的にも納得したようだった。

「うん。わかった……。明日、そうこの人をよんでね。じゃあ、食べる」

「……おまちくださいね」

ジョーカーはみつけた小刀で見よう見まねにりんごの皮をむいた。完成した皮むきりんごは、ジョーカーの手が切り傷や緊張で赤くなったわりには赤い部分が取れていなかった。

「ジョーカー、いたいよね? だいじょうぶ? それでいいよ。食べられるよ」

「……ごめんなさい……」

ジョーカーより見ていたカムイのほうが半泣きだった。むしろ食べられるところがなくなっていってしまいそうだったので、肩で息をしながらジョーカーは皮をむくのをやめたのだった。

 

「そうそう。あのときジョーカーの指が切れてしまっていて、僕はまた泣いちゃったんだったね」

「私の指の傷で泣かれたのですか? てっきりりんごがどんどん小さくなるのが怖くなったのかと思っていました」

「そんなにりんごのことばっかり考えていないよ。あれもすっぱいりんごだったしね。やっぱり神様が見ていて、僕の罰がジョーカーにいってしまったんじゃないかと思ったんだ」

「あれからずいぶん皮むきには苦戦しましたから、それでカムイ様への罰を少しは購えているなら本望です」

昔語りで盛り上がって、酸っぱいりんごも平らげてしまった。そろそろお休みなさいませ、と言って、部屋まで送るため立ち上がろうとすると、カムイが手を伸ばしてきた。

「ジョーカー、いつも本当にありがとう」

頭を撫でられた。髪をほどいているから、指通りよく顔の横まで包むように撫でられる。腰が抜けるようで、少し頭を下げておとなしく享受する。

執事の任を解くから労ってくれているのかもしれないとも思った。けれど撫でる手はあたたかく愛情にあふれていて、ジョーカーは自然に幸せな気持ちに包まれた。

「散らかってると思ったら、帳簿をつけ直してたのか。いつも仕事のしすぎだって言ってるのに……」

「……カムイ様の執事として、私は心得不足だと痛感しまして。公私混同をしていると気付いたのです。もっと公(おおやけ)というか、プロとしての強さをもってしっかりカムイ様をお支えする執事でなければ」

「ええっ? むしろジョーカー、私(わたくし)のほうがなさすぎじゃないか? それが心配で今……」

「えっ」

「えっ?」

顔を上げてお互いに驚き合った。何か食い違いがあるらしかった。

「……あの、失礼ながら、カムイ様の今精査されている経歴書……、新しい執事をお使いになるのでしょう?」

「ああ、うん……そのつもりで考えているけれど。あっ、もちろん王城の仕事のほうの管理職を増やすってことだよ。ジョーカーがそばにいないなんて僕は考えられない」

「私の力と心得不足で……ですよね」

「ええっ、違うよ! ジョーカーが仕事をしすぎでお休みもないし、どうしようって思ったからだよ!」

「休み? ですか?」

本気で怪訝そうな顔をするジョーカーを見て眉を下げて、カムイは前のめりに手を握って語りかけてきた。

「ジョーカー。使用人にも休みが必要なんだ。軍人だってそうだ。法律がない国もあるけど、働いている人を休ませないで使えるだけ使うなんてだめだ」

「もちろん、肝心のときお役に立てないでは困りますから、体調管理はよくよくしています! 本当に無理があれば申し上げますし……」

「働ける限界を守るっていう話じゃないんだ。体を休めるだけじゃない、仕事をしていない、ただの自分のときっていうのが人間にはあったほうがいい。むしろそれが公私を分けるってことだろう? そういうのがちゃんとある国を僕は作りたいのに、ジョーカーは僕のことならなんでも嬉しいって言ってくれるからって今までそれに甘えてしまって……」

握られた手にきゅっと力がこもった。自分の働き方のことで主を困らせてしまっていたのは事実のようだ。しかし自分がぐるぐると悩んでいた方向とは違うようで、ジョーカーは懸命に耳を傾けた。

「……私は、どのようにしたらカムイ様の国の理想に近づけますか? どうしたらいいですか」

「ジョーカーは僕の家族だから、ずっといっしょに生きててほしい。今までジョーカーは僕のなんでもしてくれていたんだよな……。それは健全なことじゃないよ。ジョーカーが僕になってしまう。僕はそんなふうに思い込みたくない」

「でも俺は、カムイ様のお役に立ちたいんです。カムイ様のお側から離れて休みたいと思ったことなどありません。できることはなんでもしたいんです。
家族……って、なんなのですか……。俺にはわかりません」

「罪とか、罰とかを、いっしょに分けること」

カムイはジョーカーの目をまっすぐ見て言いきった。先程話した、自分の昔した約束の言葉で言われジョーカーははっとした。

「だと、僕は思うから。それには、やっぱりジョーカーが僕とは違う人で、自分の考えがあるってことを、僕のためだけじゃないいろんなところを知りたいよ。ジョーカー、この前……僕が生まれた家族といっしょにいなくちゃって思い込んでたときに、そうじゃないこともあるんだって教えてくれただろう。あんなふうに、僕が思わないことを、ジョーカーが持ってるのが嬉しいし、心強いんだ。
それがきっと分け合うのに大事なことだと思う。ジョーカーは僕と家族になりたくない?」

「それなら! ……それなら、俺も……!」

焦るように必死に手を握り返した。俺も、あなたと。その先は声に出すのが難しかったので、強く握った。それで安心したように、カムイの覇気がゆるんだ。

「もっとジョーカーの悩んでることや、好きなもののことも考えてみて。教えてよ。好みや考え方が違って僕にはよくわからないかもしれないことも」

「……カムイ様に、呆れられるようなこともですか? それは……」

「わからなくても呆れたりしないよ。ジョーカーは僕にずっとそうしてくれただろう」

優しい微笑みでカムイは顔をのぞきこんだ。されたことを返しているのだと言う。こんなにも柔らかに、自分はこの人を見つめることができているのだろうか。

カムイは手を取ったまますっくと立ちあがった。

「よーし、練習だ! お休みの日をとりあえず作ってみよう! それで何をするのが好きかとか、趣味とかを少しずつ教えて。むしろ作ってもいいよ。すぐにわからなくてもいいし、わがままでもなんでも言ってみて!」

「私、は、カムイ様が好きです」

「でも、僕のお世話は仕事になっちゃって……」

そういうことを聞いているのではない、とカムイが困ると、ジョーカーは懸命に自分の気持ちを言葉にしなおした。

「許されるのなら、カムイ様と……休日を過ごしたく思います。あの、お世話は極力、焼かないようにしますので……。お忙しいのにわがままを言って申し訳ないのですが、あの……駄目でしょうか?」

「……駄目じゃないよ。
ありがとう、教えてくれて」

だんだんと声が小さくなっていくジョーカーにもう一度視線を合わせて、心の内を言えたことを褒めねぎらうようにカムイは髪にキスをした。真っ赤になる頬と照れて噛んだ唇も愛おしんで、りんごの香の口づけが降った。

 

→次ページへ続く

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