【R-18】デセール・12月 りんごと梨のケーキ - 5/5

ふたり合わせて作ったまる一日の仕事のない日、朝食を運ぶメイドとともにカムイはジョーカーの部屋にやってきた。部屋はきれいに掃除されて、テーブルは整えられ、花まで飾ったぐらいにして、ジョーカーも平服とはいえきっちりとした礼をとって迎えてきた。ゆで卵を叩きながらカムイは心配そうに目の前の緊張した男を覗きこんだ。

「本当に一日いていいの? 全然休まってない気がするけど」

「私も、お考えにしっかり沿いたくてもう一度真剣に考えてみたのですが……、やはり気が休まるのどうの以前に、一日カムイ様のお姿を見られないのはつらいです。近くにいらっしゃるだけで、畏れ多いですが、癒されます」

「そうなのか。じゃあ、なるべく力を抜いていてね。子供のころみたいにしてくれ」

「善処いたします」

ベッドの中で甘やかされるとき以外で、主が自分のために長い時間を割いてくれることなど考えたことがなく、おまけに自分のことを考えて自分のことを話せというのだ。カムイの予定や興味のあること、好きなこと、共通の知人のことなど毎日隣で飽かずおしゃべりをしているというのに、何を話したらいいかわからず戸惑ってしまう。『何を話したらいいのだろう』などと思うのはそれこそ子供のころ父母に顔を見せなければならなかった日の憂鬱以来だ。カムイに出会ってからは主以外との接し方の基調は概ね、「カムイ様の役に立つことの依頼」「カムイ様の障害になることの破却」「あとはいい加減な応対、適宜おかしなことが目に入れば突っ込み」の三つ。非常に明快な生き方をしてきたし、これからもそうしていくつもりだ。

カムイとはお互いに、ただ近くに無言でいることもそれ自体和やかな会話のようなものなので、つい向かい合って食事をする主のいとおしい仕草や、花も霞む存在感にひたすら見惚れてしまう。カムイもそれに気付いたが、特に焦らず好きにさせてくれた。

食後の茶を飲みながら、そういえば、とカムイが気遣ってきた。

「ジョーカーは朝が弱いだろう? ジョーカーがいつも起きるのよりは遅いからと思って、いつもの朝食の時間に来てしまったけど、本当はもっといっぱい寝ていたいんじゃないか。普段も仕事の合間は昼寝だってしていいんだ」

「恥ずかしながら二度寝や昼寝は好きです。満月の日の添い寝をさせていただいているときなど、早朝に目を覚ましてカムイ様が眠っていらっしゃるのを見てまた眠るのが、たとえようもなく幸せで……」

カムイはふむと考えた。冬だが陽気のいい日で、朝から昼へ差しこむ光があたたかくなってきていた。

「寝ようか。ジョーカー」

「えっ、そんな。カムイ様がいらしているのに。もったいないです」

「いっしょに昼寝はしたことないよ」

そう言って紅茶を飲み終わると、本当にカムイはベッドに入ってしまった。一人部屋で広い寝台を与えられているので、男二人でも眠れないことはない。

恐る恐るジョーカーはブーツを脱いで、ベッドと毛布の間に脚からすべりこんだ。

「ん……、まだ、少しあったかいね……」

朝のぬくもりがまだ残っていて、自分の体温だというのにそれだけで幸せなのが冬だった。ましてカムイはは口まですっぽりと埋まり、ぬくもりのにおいを吸い込むのだ。

いつもの倍以上の速さで冬のふとんの鉄壁の要塞は積み重ねられていった。

「カムイ様。お寒いところはありませんか」

「すっぽり埋もれて、あったかいよ」

「よかった」

夜伽に疲れてもいないのに主の前で横になるのは抵抗があったが、ベッドについてみると、やはり自分はこれが好きなのだなとしみじみ感じられた。まどろむのが趣味などとは回答としては情けないが、そういうのもありだろうか?

ぴんと張っていた筋肉が、息を吐くたびに重みから解放されて順々に和らいでいく。血がめぐって、自分もベッドの一部のように解けて沈んでいく。

「気持ちいい? ジョーカー」

心地よい夢うつつへの道を破らぬよう、小さな声でカムイは聞いた。はい、と答えると、やはりそうっと、ゆっくりと、片方の手を絡められる。向かい合って横たわる体の間に濃密なぬくもりが閉じ込められ、あまりに多く積み重なる幸せにあわてて息継ぎをするように、ジョーカーは目を開けてカムイを見る。

「か、カムイ、さま……」

「ん? どうしたの」

「すこし、お待ちください。もったいなくて……。処理、しきれません……」

「あわてないで。ゆっくり休もう」

息を吸い過ぎておかしくなるときのように、幸せを全身から余すところなく摂取しすぎて息が止まるのではないかと思った。叩き込むような情熱的な快感ではなく、ただ毛布の中で腕をさすられるだけでジョーカーは震えた。ゆっくり息を吸い、同じように腕や背中をさすると、カムイも長く深い息を吐いた。

「ジョーカーのふとんはいいにおいがするね。気持ちがいい……」

「カムイ様も、いいにおいです。嬉しいです……、カムイ様の香りが、残るのですね……」

「寒くはない? 背中がはだけたりしていない……?」

「はい……。カムイ様も……」

眠りの国に半身を浴したような、力の抜けた状態で、ひとつのなんでもないような愛撫のたびに繊細な幸せを大事に拾い集めるジョーカーに、カムイは飽きず付き合った。

寝息のような甘い吐息が跳ねないように、羽が触れるように、かたつむりが進むように、手の指の先だけで背中を撫で上げられる。眠るように弛緩した体は、緊張と興奮で余裕のないいつもの夜伽と違い、足の先まで力の抜けているところすべてが幸せを流し込んで満たす大きな器になったようだった。目の前の愛する人にも同じくらい満たしてあげたくて、同じようにそっと撫でた。

「ああ……、気持ちい……い……」

「はぁ……、は、……っう、ごめんなさい、ゆっくり……」

「ん……」

外から昼間の立ち働く人の声が少しだけ聞こえてくる。毛布をかぶったあたたかい暗闇の中で二人は夢中で、まどろみの海からあがらないように、服の上からお互いの豊かな場所を探索するのに没頭する。

「は……、……はあ、……あ……、カムイ、さま……」

「うん……。ジョー、カー……、ふうっ……。それ、ああ……。ジョーカーにも、してあげる……」

「……あ。……は、は、……あぅ……う、」

普段の交わりなら何度も果てているような快感の絶対量を、うすくうすく塗り重ねる。気持ちよかったところを相手にも返し、何度も何度も往復する。どのくらいそうしていただろうか。

「抱きしめて、くださ……い……」

全身でぎゅうと抱き合うとお互いの熱い中心が押し付けられた。もうずっと硬くて、服ごしにも涎を流し続けていることがわかった。触れる前から知っていた。ジョーカーは抱きすがったままふたつの体の向きを変えて、上からぴったりと覆い被さる。

「――あ。……っあ、う、クッ、……ッは! ん、……~~ッ、う、うう、あ、」

長く長くあふれる絶頂感に腰が震え続けた。出してしまっても甘い愛しさが止まらず、長いことキスをして、また撫で合って少し眠りに沈んだ。

 

 

気付くと昼をゆうに過ぎていた。こんな気持ちのいい二度寝は初めてだ、三度寝はないの、とカムイはむにゃむにゃ言ったが、さすがに寝所で一日を過ごすのはただれすぎているので起き上がって下衣と下着を替えた。一緒に身を清めて、昼食の片付けの済んだ厨房に入った。

「ケーキを、カムイ様といっしょに作れるように手配してあります」

「わあ」

カムイは目を輝かせて拍手をした。

「すごい。僕が手伝ってもいいのか?」

「普段作るものはカムイ様にお出しするために不備があってはいけないですが、今日はお休みですから。作るのが目的でいいでしょう。おいしくできたら幸運くらいに思いましょう。私もどきどきです」

「どきどきだね。わかった」

「何のケーキを作りましょうか? ひととおりの種類の材料はありますが」

「ジョーカーの一番好きなのにしてくれ」

そう言われると思っていたので、ジョーカーははにかんだ。いっしょに卵白を泡立て、砂糖、溶かしたバター、小麦粉を混ぜて生地(スポンジ)を焼いた。先日作ったりんごのコンポートをカムイにもう少し細かく刻んでもらい、立てたクリームと混ぜる。焼き上がった生地を早く冷まそうとカムイが外に持って出ようとすると、ちらちらと粉雪が降っていた。ケーキを持った両手だけを出して、ガウンの前に主をくるみ入れて眺めた。

粗熱がとれた生地はカムイの混ぜ方が偏っていたのか高さがいびつだったが、二段にスライスし、煮たてて酒精を飛ばした糖蜜酒のシロップで湿らせた。間にりんごの入ったクリームをたっぷりとはさみ、上には白いクリームを塗る。

「ぼこぼこになっちゃったな。クリームでならさなくていいのか?」

「ええ。これを乗せますので」

そう言って、ジョーカーはよく熟れた洋梨を透けるように薄く切り、白いダリアのようにケーキの上に並べた。最後に円周部分にもよくクリームを塗り、密な絹のように生地を美しく覆った。

「できあがりですね」

断面を見てまたカムイは歓声をあげた。不揃いな黄金色がクリームの層にちりばめられている。カムイの切ったりんごのコンポートだ。

「フルーツケーキだね! チーズとか、パンの好みは聞いたことがあったけど、ジョーカーはこれが好きなんだ。はじめて教えてくれたね」

覚悟していたものの改めて主の口から言われるとやはり恥ずかしく、頬に血が上るのがわかった。しかし耐えて、はっきりと言った。

「使用人がこのようなぜいたく品を好むなど、申し訳ありません。卑しいことです。あなたには隠していたのです」

「ぜいたく、か。確かに、まして暗夜でこれをやるのは並大抵のことじゃなかったな。そうだね……気付いていなかった」

カムイは切り分けられた練り絹と宝石のかたまりのようなケーキを見つめ、一口食べて、ジョーカーを振り仰いだ。

「でも、納得した。ジョーカーの作ってくれるケーキの中で、なんだかこの種類が一番おいしい気がするのはそういうことだったんだ。ジョーカーが好きな味だったんだな」

ジョーカーは驚いた。自分ではそんなつもりはなかったのだ。

確かに、菓子職人は子供のころから厨房に入ってでもいない限り、他ならぬフルーツケーキを子供の時分から口にすることはないだろう。ジョーカーは幼いときから舌に美味の刻まれたおかしな使用人だ。自分が美味の記憶を持っていたから、主にそれを供することができたというところも、少しはあったのかもしれない。

あの家族にいたから、今自分は愛する人と幸せにしているのか。

あの家族を離れたから、この人の新しい運命に選ばれることができたのか。

「……そう、いうこと……なのですかね。

カムイ様に喜んでいただけるなら、俺にはそれが何よりです」

微笑んでみせて、ケーキを食べてみた。りんごと梨のみずみずしい繊維、クリームの脂のまろみ、生地のしっとりとした歯ざわり。生地の硬さや砂糖のバランスは少し崩れていたが、主の目の前で幸せを口にするのに今日は抵抗がなかった。

「おいしい。でもジョーカーが作ってくれるともっと、びっくりするくらいおいしいんだよな。このコンポートだって、あのすっぱいりんごが砂糖とワインとかだけでこんなふうになるなんて思えないしなあ……。ジョーカーはやっぱりすごい」

「ええ。皮もまともにむけなかったことからすると。これもカムイ様が喜んでくださるおかげです」

カムイは笑い、ひとしきりふたりきりでケーキを味わった。

「王城の執事役はさ、人数を増やして仕事の分担をしてもらったとしても……、僕にとってはジョーカーは執事とかそうじゃないとかよりもジョーカーだから、こんなことはジョーカーにしか言えないんだけど、」

フォークを置いてカムイはジョーカーのほうを向いた。少しもじもじと引っかかっている。

相当恥ずかしいようなことをするときにも怯まないまっすぐなカムイだが、気持ちを改めて言葉にしようとしてくれているのだと察して、ジョーカーも正面に向き合った。

「僕はジョーカーの気持ちがわからないこともあると思う。ジョーカーもまだ知らないような面倒なところもあるかもしれない。でも、これからも僕のそばにいて、僕に見えないものも見て、教えてくれる? ジョーカーがおいしいと思う食事を作って、飲み物をいれてくれる? 僕と生きてくれるか?」

ジョーカーは、愛しい声で一生懸命に言われた言葉を、ゆっくり噛みしめた。そうか、家族とは、それでいいのか。俺はこの人を家族にもう選んでいたのか。

ぽうっとなっているジョーカーの顔を見て、カムイは少し吹き出した。

「お休みだから、仕事で答えないでね」

「! そ、そんな、答えに困っているのではなく感動を味わっているのです。私はカムイ様に仕事だからと嘘の気持ちを言うことはありませんよ」

「大丈夫じゃないのに大丈夫って言ったりするだろう?」

カムイの笑顔には、それはそれでもよい、という許しがにじんでいた。小さな嘘もまだ言えない悲しいこともたくさんある。カムイも同じだろう。

深く、敬愛の礼をした。

「こちらからも、お願いいたします」

ジョーカーは両手で大事に、目の前の手を包んだ。自分がなめらかに手入れしている、しかし握ると剣だこや傷のある手だ。暗闇から引きあげてくれたやわらかい小さな手と同じ手だ。民に道を示す、孤独に輝く王の手だ。

「こんな私を選んでくださって……ありがとうございます。私の過去も、嘘も、心も……あなたと、ともに生きさせてください」

顔を上げ微笑み合った。小さなホールのケーキは、二人で半分ずつ平らげた。

 

 

 

ジョーカーが不器用に皮をむいてだいぶ減ってしまったりんごを、二人は交互にかじって食べた。小さなナイフしかなかったのでそうするしかなかったのだが、二人とも初めての食べ方だったので、ちまちまと時間をかけてしまった。

「ちょっとすっぱいね」

「そうですね。これはコンポートにするとおいしいやつかもしれません」

「そうなの? どうやるの?」

どうやって作っているのかは知らずジョーカーはぐっと詰まった。知らないことばかりだ。知らずに、ただ与えられていたから恥ずかしく思うのかもしれなかった。家事雑用のことなど、知るかよと思っていたが、主に聞かれたら答えられるようになりたいと思った。美味な果物の菓子を恵んでもらうのではなく、差し出せたらどんなに格好いいだろうと思った。そうなろうと、ジョーカーはカムイに誓った。

「カムイさま、おれ、りんごをコンポートにできるようになりますから。おいしいのを作れるようになったら」

なったら? とカムイは目をきらきらさせて続きを待ってくれた。

「おいしいのを作れたら、そのとき、また、いっしょに食べても……いいですか」

「えっ」

最後は消え入るようなねだり事を聞いて、カムイは一瞬でその未来を想像したらしかった。それが嬉しいものだったのだろう、素直に好意をあふれさせてきた。

「いっしょに食べたい! ジョーカー、明日もあさってもいっしょに食べようよ」

「あっ、いや、そういうわけには……。おれは使用人ですから、カムイさまと同じものは食べられないんです」

顔を輝かせていたカムイはすぐにしゅんとなった。いつものさびしい食卓を思っているのか、口を引き結んでぷるぷると震わせていた。それがあわれで、ジョーカーは自分を憐れむことを忘れてどうしてやったらいいのかと考えた。

「こうしましょう、カムイさま」

名案を思い付き、ジョーカーはカムイの小さな肩を包んだ。

「おれ、コンポートだけじゃなくて、カムイさまのお食事やのみものを作れるようになります。毒を入れようとするやつだっているかもしれません。おれが作って、味見と毒見をして、お席までお出ししますから! そうしたら、いつもいっしょですよ」

「いつも、いっしょ?」

「カムイさまの体を、いつもお守りします!」

まだ全くできる見込みもないのに、誇らしい気持ちでいっぱいになった。この人を守るのだ。敵から、孤独から、不幸から。優しい王子様の守護者として、自分は生きていけるのだ。

「たべものとおちゃを、ジョーカーがつくってくれるの?」

「はい。なんだって、お好きなものを作れるようになります」

「すごい。なんだかドキドキする」

カムイはそのすばらしい未来が想像しきれず、胸を高鳴らせて笑った。

ふたりの子供は暗い世界の隅っこで、ひとつのりんごを寄り添って食べた。盗んだりんごは酸っぱくて、心細さに手をつなぐと甘くて苦くもあった。

食べ終わっても何が嬉しいのかにこにこと離れずにくっついているあたたかいものに、何でもあげたい、何だってしてやりたい、というような気持ちを、言葉にはならず感じた。それは彼がまだ何も持たず何もできない、家のない子供でなくなっていくほんのはじまりの日々のことだった。

 

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