【R-18】獣の贄 - 2/2

ジョーカーはうすく開いた目に満ちた月を見た。硬い床に爪で強く押さえつけられた喉は絞まり、そのすぐそばまで膨れ上がってくるような圧力が体を固定していた。

「ッ、! ――ク、……~~ッ!!」

下から体を突き上げてくる、人ならぬ質感の衝撃を緩和してひとりでに背骨がしなる。殴るような打ち付けの痛みも忘れて、目を細めて月の光に濡れた銀の鱗の流線を見る。愛しい主が自分を犯している姿を。

 

「カムイ様?」

視線の端に何かを捉えたと頭がのみこむより早く、ジョーカーは振り返って主の気配に呼びかけていた。夕食の片付けの間、厨房と廊下の間は扉が閉まっていなかった。食後茶を出そうというところなのになにやら急いで駆け抜けていった、あの気配が本当にカムイならば、珍しいことだ。いつも俺の紅茶を楽しみにしてくださるのに、とジョーカーは顔をしかめた。

「……しかし俺がカムイ様の気配を間違えるはずないしな」

「カムイがなんだって?」

什器のワゴンを押してサイラスが厨房に入ってきた。

「サイラス。カムイ様は食卓についてらっしゃるか」

「え? いや。さっき出てったぞ。今日は食後の茶は部屋で飲む手はずなのかなと思ったが……」

おまえたちでも連絡不足なんてあるんだな、とサイラスが言い終わる前に、返事もせずにジョーカーはポットとカップを盆に載せて歩き去った。その遠ざかる速さと、盆の水平だけがまったく上下しないのを見て、無礼に無視されたはずのサイラスは思わず拍手をした。

 

ジョーカーは早足でカムイの部屋へ急いだ。

昔風邪をこじらせたときにも似たようなことがあった。

あのときも、食事の後自分やフローラに感づかれないように走って部屋まで帰って、薬を飲ませるのに難儀したものだ。うつるから来ないで、大丈夫だから、という優しい言葉を思い出してジョーカーは眉を下げた。

部屋の前まで着くと、扉ごしに案の定体調が悪そうな吐息が聞こえてきて、ジョーカーは服の隠しから用意していた熱冷ましの薬を盆に出し、扉の前で踵を揃えた。

「カムイ様。こちらにいらっしゃったのですか? 食後の紅茶は」

「来るな」

部屋の扉を叩くと、思ったより強い語気で拒絶され、ジョーカーはくっと後ずさってから、諦めず優しく続けた。

「失礼いたしました。風邪薬もございますよ。お加減が悪い様子です、ご無理なさらず早めに診せてくださいませ」

「大丈夫……だから」

「……その手は食いませんよ。大丈夫な声ではありません。そんなに揺れて……」

 

ばしゃん、と、そこにありえざる大きな水音がした。

 

とにかく嫌がられても扉を開けて具合を診せていただいて、必要そうなら紅茶を薬湯に替えてきて、眠るまでおそばにいよう、と計画ができていたジョーカーはその音にさっと血の気がひいて、急に胸が騒ぎだした。

「カムイ様?」

毛布をかぶっているのだろうくぐもったうめき声が聞こえた。状況がわからず混乱したが、失礼いたします、とだけ言って部屋に踏み入った。

「ジョーカー! 頼む、から! 一人にして」

「却下いたします! そんなにお悪いならなおさら、で……」

ジョーカーは言いながら息を呑んだ。

扉を後ろ手に閉めて暗い部屋を見渡すとそこにはまず洪水が広がっていた。部屋じゅうの床が靴底の高さまで浸っているように見える、水のようなものの波紋が月光を反射して拡散している。そんなことはあり得ないはずだった。扉の外に水の気配はなかったし、何よりここは一階ではなかった。

そして次の一瞬に寝台の上のカムイを見て、その水の正体を悟っていた。

「カムイ様……! そのお姿」

「来るな! ジョーカー」

 

細い肩に見合わぬ巨大な腕。枝に分かれて伸びた一対の白い角。関節のかたちの変形した異形の銀色の脚。

幻のような実体のような水はそこから漂っていた。水音を踏み、ジョーカーは投げるように盆を小卓に置いて命令に反し駆け寄った。見られたくないのか、来るな、と丸まろうとするのを覗き込むと、ひらいた目と口のなかは薄闇に紅玉のように光り、白い頬は紅潮して、どきりとした。

「カムイ様、苦しいのですか!? いつもこのように?」

「いつもじゃ……ない……。たぶん、満月で……」

「満月? 月に一度こうなっていらっしゃったのですか? なぜ仰らなかったのです」

カムイは答えずに顔を背けてうめいた。のぞいたうなじに変化の青白い光が火のようにくすぶっていた。

竜に変化するのに痛みはないとカムイは言うが、戦闘時と違う統制のきかぬ今の状態はどう見ても辛そうであった。

「おいたわしい……、どうすればおさまります?」

ジョーカーは痙攣している腕にためらいなく手を添えて撫でさすった。恐ろしいという気持ちはなかった。

「触るな!」

さらに変化して「前脚」と化した手に払いのけられてジョーカーは寝台から落とされた。ばしゃりと幻の水音が立つ。

腕に顔を隠して身悶えるカムイを見る。荒い息の中から、ジョーカー、ごめん、ジョーカー、とくり返す唇が読めて、場違いに背筋にぞくぞくとした喜びが走った。腕が除けられたことで、隠れていた体の正面がこちらを向いて見えて、その、まだ変化していない脚の根本に不自然な布の張りつめを見つけた。

「カム、イ、様」

呼吸が落ち着かない。立ち上がらずに膝をついてジョーカーは寝台の縁に手をかけた。そこに手を伸ばすと、下肢がぶるりと大きく震えた。

「あ、ア……! ジョーカー……!」

「……失礼、いたします。こ……こちらを……お慰めすれば、よろしいのですね……? ハァッ……手がそのようになっては、お辛かったでしょうね。
どうか……武骨な男の手で、恐縮ですが、お任せください。どうか……」

すばやく下衣をくつろげながらうわ言のように口が動くのにまかせた。
露わになった男性器は浩々とした月に濡れて光り、吐息がかかって刺激されたのか体ごとぴくりと跳ねた。ジョーカーはひそかに主の苦しげな表情をうかがうように見上げて、手袋を外しながらほとんど急いで唇を寄せた。

「あ! ジョーカ……ぁ、危ないからっ、い、いいから」

「は、はっ……、……っゅ、カムイ様……、ん、ぁむ……カムイ様……、」

異常な状況にも何より「危ないから」と気遣う主の優しさに痺れたようになって、手で済ませると言っておいてジョーカーは初めて触れる立ち上がった主自身に夢中で口づけを捧げた。忠誠の口づけだったはずのそれはすぐに粘膜どうしの湿った接触になり、そのころふいと何か紅茶と違う不思議な甘い香りを鼻に感じた気がした。

 

「ジョーカー」

悲鳴のような声の声帯組織が変わり、それで主はやさしい言葉を発しなくなった。先端から喉に呑み込もうとしていたのを突き飛ばされ、

――見上げたときには、前脚で空を掻いていななく、いつもの気高い銀の竜が跳ねた水の粒を従えていた。その美しさを讃える間もなく、鋭い爪が膝の皮ごと膝あたりの布地をかすめ裂いた。

「ッく……、カムイ、様……!」

ジョーカーは動かなかった。苦しげに長い頸をくねらせ、一歩一歩水音をさせてカムイは近付いて来た。

爪がすねから膝の裂け目までをぶるぶると震えながらなぞり、そのあたりの布地をわし掴むとひと息に下衣を切り裂いた。目的を持ったその動きにジョーカーはやっとカムイの獣の衝動の向いている先を察した。月だけでも明るくてよくわかる、普段つるりとした線の中に隠された、その後脚の間の鋭い剣のようなものはいまだそそり立っていた。

金属の板をはじく響きのような竜の音で、朦朧とした小さな声を聞いた。ジョーカー、と。

息を呑んだ。

「わ……わた、しで……、よろしいのですか……。
俺で、俺でいいのですね?」

涙で乱れた銀髪がこめかみに張り付いた。これから慰み者にされようというのにそれは感動の涙だった。

苦しくてそうするほかなかったのだとしても、この自分を認識してなお抱いてくださるのだ。あのつるぎで俺は死ぬのだ、とジョーカーは思った。あれを体に埋めてカムイ様に殺してもらえるのだ。

光栄にどくどくと胸が鳴った。誰にともなくそれを強烈に自慢したかった。

「き、来てください。ここです、カムイ様……!」

覆い被さってくるカムイの目に釘づけのままで、もたつく手で自分で下着を払い身も世もなく脚を開いた。ほの赤く染まった白い内腿とすっかり勃起している中心をとらえてカムイは吠え声を上げた。

一瞬に前脚で首元に襲いかかられ、ジョーカーは床に縫い止められる。

息がつまる苦しさも、痛みも、すぐにでも首をねじ切られるかもしれぬ恐怖もあった。しかしそれを忘れるほど勝っているものがあった。

抱かれたい。殺されてもいい。

制御のきかない獣の力で自分など潰してしまえるこの竜が、いとおしい。

ぴた、と、人間のものとは違う硬質なそれが接した。

 

「あ、あ、か、カムイ、様ぁ、
はぁっ、お情けを、くださいませ!」

 

あふれるような吐露を合図に、繁殖ではありえないふたつはずぶずぶと交合した。爪が首元を呪縛しているのを、痛みに体が逃げなくて嬉しいとさえ思ってジョーカーは喜悦の声をあげた。

「あッ……、あっ……、カム、イ、様。カムイ様が、中に。うぅ、あ……!
っ……もっと、もっと来てください、もっといけます、俺は、」

必死に腰を落とそうとしても、太くなる根本は自力では受け入れられずぼろぼろととめどなく涙が流れた。カムイ様、カムイ様、と泣きじゃくる切望が伝わったのか、カムイも深い結合を望んだのか、ひと息に腰が打ちつけられた。

「あ、あああーっ! カムイ様!」

串刺しにされて腰が浮き、粘膜がはち切れる気配がした。もはや圧し拡げられた痛みなのか裂傷から失血する熱い痺れなのかわからなかったが、痛みをごまかすために頭は強烈な快感を伝えていた。

骨が打ち合い限界まで交われたことがたまらなく嬉しくて、ジョーカーは鉛のように重い腕を持ち上げてやっとぎりぎり、頭上でうなる竜の口元に触れた。

「は……はあっ……、カムイさ、まっ……、しあわせ、です……。
……俺……お、れ、……ンンッ、あァっ……っ!」

短い吠え声とともに、ぎゅ、と首を押さえている爪が握られた。喉が絞まり嬌声が息のかすかに抜けるだけの音に変わる。気道が押し潰される強い違和感が驚くほどに快かった。ふと昔甘えてじゃれついたカムイにわき腹や首筋をくすぐられたことを思い出した。他の者に触られれば反射的に振り払ってしまうような急所だ。恐ろしいはずのことなのに、愛しい人にされて頭が混乱するのだ。

ジョーカーはうっとりとまぶたをゆるめた。

「はー……っ、はあっ……こ、ろしっ……ください……。おれを、食べ、て、ください。カムイ様……、カムイ様っ……」

首が絞められるたびに、カムイをなんとか収めている後ろが収縮するのがわかった。こんなふさわしからぬ体でもカムイのものに快い刺激を与えられているのだろうか、もののように使ってくれて嬉しい、と暗い悦楽で胸がいっぱいになった。

「ンッ……! あ、あ……!?」

内部に陰茎以上の存在感を感じてジョーカーは身じろぎした。最初はさらに膨張したのだと思った。しかしわずかに内臓の中で液体が動くような気配があり、まさか射精が始まったのか、と一拍遅れて身構える。

「えっ……、えっ、も、もう。待って……お待ちくださっ……! ん……!」

幻の水が蛇のように体を這いのぼる。

背中を浸しているのと同じ水はぬるい常温で、それがひんやりと感じて驚くほどにそこは張りつめていた。甘いにおいがする。――カムイの水だ。中にあるのも、おそらくそうだ。ジョーカーはかっと頬を赤くした。

「あ、あっ……いけません……、そこ、は、結構です……! あ、えっ……? ……っあ!」

たった今まで触れもせずに昂っていたものを急に全体にからめ包まれ、貫かれたままで腰をよじる。その動きで接合部でもぐちゅ、じゅぶ、と水がうごめく。それらがまるで指のように柔らかで、ジョーカーは出ない声でもったいない、カムイ様、もったいない、と繰り返した。

水は不浄の穴だけでなく、包まれた先端から外界に押し入られたことのない道までも逆流していた。カムイの水が、充血した陰茎をいっぱいに満たしている。尿道の奥の圧と接合部の打ち付けをだらりと弛緩して享受する。呼吸も限られて、初めての場所を開かれて、前も後ろも両側から抱かれて、主にめちゃくちゃに支配されていることに途方もない快感を覚えた。

「ん、ぃイっ……! クッ、ふ、……! ~~ッ! ア、あああー!」

ふいに柔らかだった水が圧力をもって内外を蹂躙しだし、ますます固定された体では身をよじることもできずジョーカーは直接すぎる快感に叫んだ。細い道を満たされる違和感と押し合うようにぐちぐちと出し入れが始まり、そのたびに音を立てて体液が漏れ水に混じる。

カムイが長い頸をそらし吠えた。首を押さえている鉤爪(かぎづめ)が絞られ、ジョーカーは声なき嬌声を上げた。もっと強く、もっと愛してくださいませ、と口の動きだけで叫んで首元の竜の爪を必死に愛撫する。

頭の上で苦しげな吠え声が断続的に響く。ああ、達したいのだ。俺の中で達したくて、俺も一緒にいかせようとしてくださって。いとおしい爪が首を絞める。四肢がしびれる。腰の奥から熱さが刺し傷の痛みのように全身に広がる。

カムイは思い切り首を丸め、組み敷いた肩口に牙を立てた。

「ァ、ッ……、――、カ……イ、さ、! ……はッ……!」

痛みと酸欠と絶頂の喜悦にジョーカーは失神した。激しく痙攣する体内に、あふれるほどの熱いほとばしりを感じた気がした。

 

「ジョーカー! ……ジョーカー……!」

目を開けると主が泣いていて、どうされました、と声をかけようとして咳き込んだ。思わず手をやった首には何か擦れたあとがあり、カムイは痛ましげにそこから目を背けた。

「ジョーカー、ごめん……ごめん……血が……、なんてことを……、」

「ああ」

かすれた声で興味なさげに、肩と下肢の傷を確認して、ジョーカーは汚れていないほうの手でそっと主の頬の涙をぬぐった。

「問題ございません。存外生きています……」

「そういう問題じゃ」

「カムイ様が、とても加減して優しく抱いてくださったので」

カムイは息を呑んで顔を上げた。ジョーカーは涙をぬぐった指をすっかりしゃぶってしまって直接蒼白な頬を舐(な)める。思った通りあの甘い香りがした。涙からも、汗からも。声を出すのが億劫でそのまま震える尖った耳に口を寄せた。

「もっともっと、お好きなようにしてくださいませ……」

 

甘ったるく崩れた囁き声にまばたきも忘れてカムイは背骨を蝕まれていった。満足していない獣の疼きが吸い込まれていくように、再び倒れ込むジョーカーの絡める腕に落ちる。そこから先は、もうわからなかった。

 

満月の夜には竜の啼く声がする。哀しげに、あるいは歓喜に。
竜と人間の男が互いを贄に捧げて鎮めている獣を、他に知る者はついになかった。

 

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