雪が降っていた。
白の中で、たったふたり。
その初冬の日は透魔王国の王城から少し離れた森で、白夜暗夜の王侯を招いての狐狩りが催されていた。皆それぞれに騎乗した出立前に、同じく馬に乗った三騎がルールの確認をしている。
「皆さん、弓の準備はいいですか? 獲物は狐。ほかの鳥や獣を獲ってもいいけれど、どれだけ加点になるかはわかりません」
「日暮れの一刻くらい前になったら、森の真ん中あたりにある小屋のところでアクアに歌を歌ってもらうことになってる。あの山に陽が沈むまでにここに戻ってきて」
前に立つ三騎はタクミ、カムイ、レオン。この狩りはカムイともともと言い出した二人の弟王子との共同主催で行われていた。きょうだいや仲間たちが集まり見るからに嬉しげな王は皆の心を和ませ、その両脇を利発な二人の若き王子が固めて説明しているさまは均整がとれていた。
「普段から弓の得意の方々にはハンディを設定するからご安心を。うちのは遠慮すると言っているし、タクミ王子はほら、ご覧の通りショートボウ」
「わたしは……」
「セツナはいい、とにかく無事で帰ってこい」
「うれしい……。ヒノカ様、優勝……応援してくれてる……」
セツナとヒノカ王女のやりとりに一同は笑った。
「さて、そろそろ行きましょうか。いい? カムイ兄さん」
「うん。僕がみんなが行った最後だよね」
タクミは器用に蹄を鳴らしその場で馬を返してみせた。おお、と歓声が上がる。白夜の馬術だ。その左右に、レオンとカムイが展開する。
「では、始め!」
返した馬でそのまま森へ駆け出すタクミに続き、マークスとリョウマ両王、その後ろに珍しく馬に乗る感慨を華やかな笑顔で話しているカミラとツバキ、それを追って主を追い越さんばかりのルーナ、ぽこぽこと頼りなげなセツナがついていった。レオンは鮮やかに馬を反転させすぐに追いつく。
「いってらっしゃいませ、カムイ様!」
「カムイ、よい戦果を!」
「気をつけてね」
レオンに次いで馬を返してきたカムイは声のした方を見てにこにこと笑った。そこには彼の執事と赤い姉と水色の従姉がいた。見送られて手を振り返し、やがて森へと消えていった。
アクアは厚手のヴェールと体を幾重にも覆う大判の布を揺らして向き直った。
「さあ、森の中心へ行かなくては。目印はタクミがつけてくれてあるの」
「かまどもありますから、そこへ着いたらお茶をお淹れしましょう。ヒノカ王女がお気に入りだった茶葉を用意しておりますよ」
「おお、ジョーカーの紅茶か。久し振りだ。楽しみだな」
ヒノカは炎の髪を揺らして歩きながら笑った。短髪を少しだけ伸ばしたヒノカは白の毛皮のついたマントにくるまってやや女性らしく見える。
「この間も、あの果実を砂糖漬けにした菓子をありがとう。サクラもおまえの焼いた菓子が食べたいと言っていたよ。ぜひまた機会をもうけよう」
「サクラ王女は……」
「あの子は優しいから、狩りはな。弓の腕はセツナと張るほどなのだが。譲ってもらってしまった。だが私は弓はぜんぜんでな……セツナの救出に専念するとしよう」
苦笑して視線を下げてそのまま、ヒノカはジョーカーの格好を下から上までじいっと見てきた。突然の悪気のない視線にどう対応したらいいか困りジョーカーはつんと目を伏せてみせた。
「……ヒノカ様。私だからよろしいですが、不躾では? 私と思い出した礼儀作法はもうお忘れですか」
「あ、いや。ジョーカー、おまえ寒くはないのか?」
「はあ」
ジョーカーは気のない返事をした。
先の戦で、ヒノカはいつも天馬武者の装束の首元に白く長い布を巻いていた。暗夜ではマフラーと呼ぶようなものだ。ジョーカーもいつもシャツを少し着崩して首にマフラーを留めている。そこまで冷え性というわけでもないが首元は温めたいたちなのだった。
初冬の森の寒さだ。ヒノカの純白のマントは毛皮の襟とみごとな山羊の毛織でできた暗夜製のもので、おそらくカミラあたりから贈られたものなのだろう、髪の色やヒノカの好む男のようにすっきりとした服装の趣味によく似合って美しく、何よりとてもあたたかそうであった。
いつも薄衣のアクアも保温性の高い絹に、彼女が書庫から発掘してきた文献にならった透魔風の草花文様を刺繍した厚いヴェールと、共布のストールで体を覆っている。ジョーカーはその刺繍をした本人なので十分にあたたかいことは知っていた。
しかしジョーカーはといえば、概ねいつものような格好によく見れば薄いとわかる短外套を着ただけであった。
「暗夜の服飾の趣味まではわからんが、マークス王やレオン王子の従士はちゃっかりと今年用のコートのあつらえをねだったようだったぞ。カムイが渋ることもあるまい」
「まさか!カムイ様は身に余るほどお優しくしてくださいますとも。ですが、私は基本的には城内でお仕えする者ですし、……あまり興味がありません」
興味がないというのは本当だった。実際ジョーカーの人生の多くの時間が北の城塞で過ごしたものであり、たまの用での外出着などなんとも思っていなかった。寒さについて弱音を吐くのもフローラやフェリシアに負けるようだからこらえる癖がついていた。
「首のそれはいつも巻いているではないか。どうせなら外套もしっかりしたものをあつらえるがいい」
「……これはもうなじんでおりますから」
いろいろ隠さねばならないものもありますので、と内心で言ってジョーカーは微笑んでみせた。首は主には寒いからではなくカムイの爪痕や噛み痕やもろもろが頻繁についているからきっちりと巻かざるを得ないのだが、言われてみればそれ以外、冬物という体裁を整えただけの薄い外套は寒い、ような気がしてきた。
「ねえ、ヒノカ。見て」
一人で少し先を行っていたアクアがふわふわとヴェールに風をはらませてヒノカに駆け寄ってきた。親しげに腕に寄り添ったアクアは歌を歌うときのように少し上を向いててのひらを天に向ける。木々の暗いかたちの中に白い何かが舞い、木漏れ日に光るのが見えた。
「雪か!」
「ね。晴れているし、積もるような感じではないけれど」
ヒノカは頬を染め目を輝かせた。アクアもそれを見上げて嬉しそうにしている。
「……雪がお好きなのですか?」
「ああ。カムイが小さいころ王城にも雪が積もって、ふたりで遊んだんだ。
カムイが帰ってきてくれて再会したときも、雪が降っていた。雪は好きだ。雪も寒さも恐ろしいものだが、こうして暖かいものを着たり建物に入ったり人の姿を見たりするのが、なにやらせつないように心をあたためるのだな」
「きゃっ、ふふふ」
ヒノカは寄り添うアクアを白いマントの中にすっぽりと引き寄せ、舞い落ちてくる雪を指にのせてアクアと愛でた。
睦まじいつがいの白鳥のような二人を見ていると、早くカムイに会いたくなってしまう。ジョーカーはくしゃみをひとつかみ殺した。ヒノカは磊落に笑った。
「ほら見ろ、ジョーカー。この国は雪が降るんだぞ。おまえはカムイの供でこの国のどこへでも行くのだろう。自分によく合った暖かい外套のひとつやふたつ持たないでどうする」
結局狐狩りの勝者は僅差でマークスとなった。セツナが仕留めた牡鹿と若い猪数頭はそれはみごとなもので、その日ジョーカーの調理で晩餐に並んだのだが、狐狩りだということをかなり早い段階で忘れ去っていたし、何より多すぎる獲物を拠点から運べず立ち往生していたため選外である。
マークスは自分の勝利よりもカムイが初めての狩りで青狐を狩ってきたことをことのほか喜び、自分の獲った狐を弟に捧げた。するとカミラが、あら私だってカムイに狐を獲ってきてあげたのよ、と言ってとびきり美しい毛皮のを差し出し、最後には我も我もと皆がいち押しの狐をカムイに贈った。それでカムイは一枚の青狐の毛皮の外套を作った。
「よくお似合いです。カムイ様」
「そう?」
「本当よ。ああ、カムイ、お姉ちゃんの前で回ってみてちょうだい」
「なんだかんだで、三国の友情の品ね」
是非にと仕立ての責任者を申し出たカミラがみずから外套を届けに来ていた。カムイは姉に駆け寄ると襟をあわせてくるりと回ってみせる。アクアとジョーカーもそれを見て微笑んだ。
「大事にしないとね」
「心を込めてお手入れいたしますよ」
「あっ、ジョーカー。あなたのもできているのよ。着てみなさいな」
受け取ってジョーカーは新品の袖に腕を通した。ジョーカーが自分で狩った青狐を襟にした灰色の長外套は、カミラの愛用する仕立て屋に頼んだだけあってよく体の線に合い、手脚のしなやかな長さが際立った。
知らなかったカムイはその姿に見とれた。
「ジョーカー、きれい……。すごく格好いい」
「ありがとうございます」
「姉さん、これ、どうしたらいいの?」
「あら、あなたはどうもしなくていいわ。ジョーカーは私のお気に入りの仕立て屋に自分のお給金でこれを頼んだだけ。私が運んだのは着たところを見てみたかったからよ。
うふふ、とっても素敵だわ。ヒノカ王女に報告しましょ」
二人おそろいね、私も作ろうかしら、とカミラは笑った。おそろい。ジョーカーも回りたくなった。実際その後格好いい格好いいとカムイにはやされ何度も回らされた。僕が買う、と言われても固辞した。ジョーカーにはほとんど初めての、大きな自分の買い物だったが、誇らしいような照れくさいような、不思議ないい気持ちがしたのだ。とても暖かかった。これがヒノカの言った気持ちなのだろうか、と少し戸惑いながら。コートごと自分の肩を抱きしめた。これからはこれを着て、カムイの供をしてどこへでも行くのだ。

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